その人らしく、
その家(うち)らしく

インタビュー先の事業所とご担当者様

船浪 紀子さん 管理者

河北訪問看護・リハビリステーション阿佐谷

東京都杉並区

退院調整室への転属まで待てなかった10年間で飛び込んだ在宅看護の世界!

一和多

本日は杉並区「阿佐ヶ谷」駅前に多数の病院や関連施設を展開される河北医療財団の在宅部門を担う河北家庭医療学センター、そちらの訪問看護ステーションで管理者をされる船浪さんにお話をお伺いいたします。

夕方のお忙しい時間帯ではありますが、本日はよろしくお願い致します!

船浪さん

いえいえ!

こちらこそ本日はよろしくお願いします!

一和多

なんでもこの度は訪問看護師のメンバーが急に2人も産休に入ってしまうことになったとか? (※2017年1月時点)

船浪さん

そうなんですよ~!!!

嬉しいことではあるのですが、人員不足になってしまいまして…(汗)。

この記事を読んで、どなたか良い方がエントリーをして頂けると嬉しいです!

一和多

それはこれからの船浪さんのお話次第ですかね(笑)。

船浪さん

え~~~、頑張ります(笑)。

一和多

では早速、まずは船浪さんのご経歴について教えて頂けますか?

船浪さん

はい。大学を卒業後、大学病院で6年働いた後に在宅・訪問看護をやりたくて、現在の訪問看護ステーションへ転職をいたしました。

一和多

ご経験としては前職の大学病院と現職の訪問看護ステーションとの2つのみなんですね?

船浪さん

そうですね。

一和多

大学病院での配属はどちらだったのですか?

船浪さん

神経内科と呼吸器内科の混合病棟でした。

そこが難病の方が多く、四人部屋で全員がALSみたいな感じだったんですね。

船浪さん

その時に経験したALSの患者さんの退院支援が、在宅看護に興味を持ったキッカケだったと思います。

一和多

確かに、色々な訪問看護希望の看護師さんと面談をしていて、「患者さんの退院後の生活が気になったので」という方は多い印象がありますね~。

船浪さん

私の場合は、「自分がおこなった退院支援は本当に良かったのかな…?」と不安感があったんです。

一和多

病院から送り出した後の患者さんの様子ってわからないですものね…(汗)。

船浪さん

そうなんです。。。

それから、たまたま退院支援をさせて頂いた方のご自宅に遊びに行く機会があって、退院後の生活をみることができ、

「もっと退院支援ができるようになりたいな」

「在宅看護って面白いな」

と思いました。

一和多

患者さんの退院後の生活が気になり初めてから、いきなり訪問看護ステーションへの転職を決意!といった訳ではないですよね?

まずは病院内での異動願を出さたり??

船浪さん

そうですね!

ただ、退院支援の部署への転属を希望したのですが、年功序列というか、、、順番待ちがかなり詰まっていて、希望の部署に異動ができたとしても〈10年後〉とかだったんです…。

一和多

10年ですかぁ……(汗)。

大学病院だと仕方ないのかなとも思いつつ、やはり20代のキャリアでの10年は遠いですね……。

船浪さん

そうですよね~…。

これから10年待つのなら、いま在宅看護や訪問看護を経験してしまった方が、自分にとってプラスかなと考えて転職を決意したという経緯でした。

学生時代は「地域看護学」が赤点でした! そんな私が訪問看護の認定看護師にっ!?

一和多

船浪さんの場合は、学生時代から「在宅」や「訪問看護」がやりたかった、というわけでは無い感じですかね?

船浪さん

そうなんです。

むしろ、私は学生の時は「地域看護学」が赤点で…(笑)。

一和多

えぇ…(笑)。

船浪さん

それまで人間を相手にした勉強ばかりをしていたので、「地域とは」って概念が全然理解できなくて、ものすごく辛かったです(笑)。

元々、社会科とか暗記する科目が苦手で、制度も全然覚えられなかったですし…。

一和多

それでよく訪問看護へ転職しようとなりましたね(笑)。

船浪さん

実習はすごく楽しかったんです!!!

なので、苦手意識はありましたが悪い印象は無かったかな。

一和多

ちなみに、「地域とは」という概念は、今では理解できましたか?

船浪さん

当時と比べれば、わかったような感じはしますね!

あと、各種制度も仕事をしながら覚えていったので、今では大分わかるようになったのかな?

まぁ、管理者なので、わかってないとまずいのですが(笑)。

一和多

学生の時の船浪さんを知るご友人達からすれば、まさかその後、船浪さんが訪問看護師になって、訪問看護の管理者になって、そのうえ訪問看護の認定資格まで取るなんて、夢にも思わなかったでしょうね(笑)。

船浪さん

まさかですよ~~~!!!

「私たち一緒に追試受けたよね!!?」

とかそーいうレベルでしたから(笑)

訪問看護師としての3年間と、病棟看護師としての3年間の違い

一和多

河北さんの特徴の一つとして、認定資格(※)をお持ちの方が多いなという印象があります。

船浪さんはなぜ、認定資格を取ろうと思ったのですか?

※ 訪問看護認定看護師2名、皮膚・排泄ケア認定看護師1名、がん性疼痛看護認定看護師1名 (2017年2月現在)

船浪さん

う~~~ん。私の場合は明確に「認定看護師になりたい!!!」と思っていた訳じゃないんですね。

ここで訪問看護師として働く中での流れで…、といった感じでしょうか。

船浪さん

私の場合、元々は退院支援をやりたかったので、最初は訪問看護師にはなったけど、いつかは病院に戻ろうと思っていたんですね。

一和多

訪問看護の現場を学んだ経験を退院支援で活かしていこう!と考えていたのですね~。

船浪さん

最初は、ね(笑)。

船浪さん

ただ、在宅で働き始めて3年目が終わる頃に、

「あれ?  私、在宅のこと全然わかった気がしないぞ???」

と思ったんです。

一和多

病棟勤務の時は、3年程でその病棟の患者さんや疾患のイメージがおおよそ持てるようになっていた??

船浪さん

病棟ではそうでしたね。

それが、在宅ですと、次から次に色々なケースの新しい利用者さんがやってくるので、毎回すごく新鮮なんですよね。

船浪さん

色々な利用者さんと触れあうことができて、さらに利用者さんのお家にいくと私まで元気がもらえて、「やっぱり訪問看護を続けていきたいな」と思ったんですね。

一和多

それが訪問看護をはじめて3年が経った頃?

船浪さん

そうですね。

ちょうど年度末での師長との面談のタイミングで、

「これからも訪問看護を続けていくのに、将来、おばあちゃんになって体力的に厳しくなったら管理者をやりたいです」

って伝えたんです。

一和多

もう老後まで視野に入れた訪問看護でのキャリアプランを考えられたのですね!

船浪さん

そうなんです。

そうしたら師長の中で「よし!管理者として育てるぞ!」とスイッチが入ったみたいで(笑)。

船浪さん

それから3年間は管理者になっていくためのカリキュラムを組んでもらい、その一環として認定資格を取ることになったという経緯でした。

河北家庭医療学センターの認定看護師メンバー(※2017年1月現在)

多数の認定看護師が在籍する事業所の支援制度とは?

一和多

働きながら認定資格を取得するのって、結構大変だと思うのですが、こちらでの認定資格取得の支援制度はいかがでしたか?

船浪さん

他所の事業所さんとの比較はわからないのですが、うちはかなり手厚いサポートをして頂けたと思います!

船浪さん

まず、実習期間は研修扱いにしてもらえたので、退職をしたり休職をしたりする必要は無かったですし、当然その間のお給料も頂いていました。

あとは、学費の半分を法人側に負担して頂いたり。

一和多

実習の期間等もお給与の心配がない安心感は大きいですね~!

ちなみに法人内での認定資格の支援制度はどのような条件になるのですか?

船浪さん

審査のようなものはありましたね。

それまでの働きぶりを評価されたり、あとは資格を取得すると組織に対してどのように貢献をすることができます、といったアピールも必要だったり。

一和多

それは当然そうですよね。

訪問看護の事業所で、資格取得の支援制度がしっかりと整っている組織は決して多くない印象があります。

船浪さんのように、今後のキャリアプランを考えていったタイミングで、認定資格も選択肢の一つとして検討ができるってことも、河北さんの強みの一つだと思いますよ。

河北家庭医療学センターは東京都杉並区の中央線「阿佐ヶ谷」駅から歩いてすぐ近く。

医師とのカンファも週3回! ワンフロアに集められた多職種間での密な情報共有!

一和多

他にも、河北で働いていて「ここは自慢です!」って点はありますか?

船浪さん

多職種でやるカンファレンスは、学びも大きいし自慢できる点だなと思います!

看護師と、医師、PT・OTが顔を合わせながら同じフロアで働いておりますので。

一和多

以前、私も月1回開催されている多職種カンファに参加させて頂きましたが、とてもしっかりとやられている印象をけましたね。

船浪さん

どんなカンファの時に見学されたんでしたっけ???

一和多

え~~~~と、確か、、、

外来の看護師さんが担当の時で、難しい患者さんを対応する時、どうやって個人ではなくチームでサポートしていくかって内容を医師や訪問看護師などの視点も交えつつで話し合っていたような…。

船浪さん

あぁ、あの時だ!!!

よく覚えていますねっ(笑)。

一和多

カンファレンスはどれくらいのペースで開催されているのですか?

船浪さん

在宅部門の医師と訪問看護師での朝のカンファレンスが、月・水・木の週3回。

多職種でのカンファレンスだと、在宅医、訪問看護師、外来看護師、リハビリスタッフが持ち回りでテーマを出しあって、月1回ですね。

一和多

週3回も担当医と顔を合わせたカンファレンスができる訪問看護ステーションって本当に少ないですよ。

船浪さん

そうだと思います!

利用者さんに関する情報共有はもちろん、医師と看護師がどのように足並みをそろえて連携していくかを密に相談ができることは非常に心強いです。

一和多

こちらでの同じフロアに医師もリハビリスタッフもいて、いつでも相談ができるような環境で働いてしまうと、もう他所の訪問看護ステーションでは働けなくなってしまいそうですね(笑)。

船浪さん

それはあまり考えたことがないですかね~~~(笑)。

それぞれのステーション毎に地域で担うべき役割があると思うので。

一和多

それはおっしゃる通りですね!

ちなみに、河北家庭医療学センターに期待をされている役割はどんなものだと思いますか?

船浪さん

人的なキャパシティの問題を別にすれば、どんな利用者さんでもお断りしないことですかね。

他所のステーションでは難しいような症例・環境の利用者さんでもお受けしています。

船浪さん

例えば、PCAポンプを医師と連携しながら管理できる体制の訪問看護ステーションは杉並区内でもそう多くはないのですが、うちであれば終末期で管がたくさんついているような方でも、ご自宅で看ていくことができています。

一和多

先程のカンファレンスにも通じる話なのですが、看護師間だけではなく、医師も、リハビリスタッフも、ひとつのチームとしてしっかり機能している感じがしますね。

船浪さん

あると思いますね~~~!

裏を返せば、「チームではなく、1人で利用者さんと向き合っていきたい」というタイプの方は、うちは働きづらいかもしれないですね。

おじいちゃんから孫に受け継がれる〈命のバトン〉

一和多

船浪さんがこれまで看てこられた在宅でのご利用者の中で、思い出深かった方のエピソードを教えて頂けますか?

船浪さん

利用者さんというよりも、印象深かったご家族の話でも良いですか?

一和多

もちろんです!

船浪さん

河北で働きはじめて3年目の頃、終末期の利用者さんを訪問していました。

利用者さんはおじいちゃんだったのですが、その奥さん、お子さん夫婦、お孫さんの三世帯で暮らしている、すごく仲の良いご家庭だったんですね。

船浪さん

おじいちゃんは皮膚ガンで段々と衰弱していったのですが、そちらのおばあちゃんが

「どうしても最後まで家でみたいのよ。人が死んでいくところを孫たちにみせたいの」

とおっしゃるんです。

一和多

おばあさんなりの人生観やポリシーを感じますね。

船浪さん

そうですね~。

ただ、おばあちゃんは自分でケアをするのは嫌がるんです(笑)。

だから娘さんたちが毎日代わる代わるやってきてケアをしてくれていました。

船浪さん

それから、おじいちゃんが「そろそろかな?」となっていった時、ご家族みんなで介護をしながら、毎晩おじいちゃんのベッドの近くでご飯を食べたり、お酒を飲んだりして、それが5日間くらい続いた後にお亡くなりになったんですね。

一和多

ご家族みんなで送り出したといった感じのお看取りですね~。

船浪さん

はい、すごく良い看取りだったと思います。

ただ、おばあちゃんが「最期を見せたい」と言っていた、肝心なお孫さんはなかなかおじいちゃんの近くによってくれなかったんですね。

船浪さん

お孫さんは当時まだ中学生の女の子だったのですが、すごく繊細な子だったんですね。

TVのサスペンス劇場で人が死ぬシーンを見ることすら苦手という子でしたから、重い皮膚ガンのおじいちゃんの末期をみることへの抵抗感があったのだと思います。

一和多

それは仕方がない気もしますね。。。

船浪さん

また、おじいちゃんが亡くなる間際は、ちょうどお孫さんが高校受験のタイミングで、そういった意味でも余裕が無かったのだと思います。

おじいちゃんはよく、お孫さんのことを「(受験勉強を)頑張っている」とよく褒めていました。

それで、おじいちゃんが亡くなった後、私はおじいちゃんの言葉や様子をお孫さんに伝えて、その家での訪問を終えました。

船浪さん

その訪問を終えてから3年くらい経った後、河北の副看護部長から私宛に電話がきたんですね。

「船浪さんが訪問してたご利用者さんの家の子が、看護体験に来てるよ」

って。

一和多

まさか…!?

船浪さん

そう!

高校生になったそのお孫さんだったんですよ!

船浪さん

話を聞いてみたら、おじいちゃんが亡くなるまで自宅で過ごしていた姿と、その後、親戚に赤ちゃんが産まれたことが、彼女にすごく大きな影響を与えたようで。

「ひとが死んだり、ひとが産まれたりすることって凄いなと思って、それで看護師か助産師を目指そうと思ったんです」と。

一和多

おばあさんがお孫さんに伝えたかったことが見事に!

船浪さん

そう、私も「すご~~~い!」って思いました!!!

おじいちゃんの最後と、おばあちゃんの想いが、この子の人生を決めたんだなぁ…と。

一和多

船浪さんは、利用者さんの最期だけでなく、そのご家族の人生のターニングポイントにも立ち会われていたんですね。

船浪さん

そうですね~~~。

「命はこうやって繋がっていって、生きる意味はこうやって人に教えていくんだ。 そういった〈命のバトン〉を渡していくことのお手伝いができるのも訪問看護なんだ。」

と凄く感じましたね。

「その人らしさ」を一緒に考えて、「その家(うち)らしさ」を一緒に創っていく

一和多

船浪さん良いエピソードをお持ちじゃないですか!(笑)

船浪さん

ありがとうございます(笑)。

私以外にも、うちのスタッフはそれぞれ良いエピソードを持っていますよ!!!

一和多

訪問看護未経験の方には、「興味はあるけど一歩踏み出せない」といった方も多いので、こういったエピソードを読んで「私も!」となってくれると嬉しいのですが…。

船浪さん

そうだといいんですけどね~~~(笑)。

船浪さん

私が病院から訪問看護へ転職する際に河北を選んだ理由の一つに、

「その人らしく、その家(うち)らしく」

って理念がすごく素敵だなと思ったからなんですね。

先程のエピソードじゃないですが、看護師って、なにも怪我や病気を看るだけではなくて、その人の生活に寄り添って、その人の生き方や、その家族の生き方にまで影響を与えられると思っているんです。

船浪さん

なので、一方的に医療行為を提供するだけではなくて、「その人らしさ」を一緒に考えて、「その家(うち)らしさ」を一緒に創っていく、そんな気持ちで一緒に働ける方が、訪問看護師の仲間になってくれると嬉しいですね。

一和多

本日はありがとうございました。

取材を終えて

一和多

杉並区阿佐ケ谷駅周辺に多数の関連施設を展開する河北医療財団グループ。駅前の細い商店街を抜けた先に事業所を構える、家庭医療学センターでは、家庭医・訪問看護師・外来看護師・理学療法士・作業療法士と様々な職種のメンバーがしっかりと連携を取りながら、利用者さんが「その人らしく」生活をしていくためのサポートを実践しておりました。ベテランや認定看護師に囲まれる職場にハードルの高さを感じるかもしれませんが、利用者さんに寄り添い、利用者さんのことを一生懸命考えることが好きな人であれば、きっと船浪さんのように楽しく働きながら自分自身も一緒になって成長をしていける環境なのだと思います。

取材・文章:一和多 義隆

事業所情報

事業所名 河北訪問看護・リハビリステーション阿佐谷
運営会社 社会医療法人 河北医療財団
所在地 東京都杉並区阿佐谷北1-2-1 河北杉樹ビル1階
最寄り駅 JR中央線「阿佐ヶ谷」駅 徒歩5分 ・丸ノ内線「南阿佐ヶ谷」駅 徒歩15分
在籍人数 看護師 11名、理学療法士3名、作業療法士 1名、家庭医8名 (※2018年10月時点)
従業員の平均年齢 40歳前後 ※20~50代のスタッフが在籍

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