忘れられぬ、あの日の救急車搬送
ものづくりの街「浅草橋」の粋な住人たち!
はい、よろしくお願い致します!
「浅草橋」良いでしょ? すごく楽しい街ですよ!!!
良いですね~!
ちょっとしたお蕎麦さんなんかも、すごく雰囲気があって、すぐそこの神田川には、屋形船なんか浮かんでいたりして。
そうなんです!
飲食店が多いのもそうなのですが、ここって実は「ものづくり」の街なんです。
確かに、ちょっと街を歩いただけでも、
「こんなお店があるんだ!」と思いました!
あと、何というか……街全体が、すごく「粋」な雰囲気ですよね。
あ~~~粋!!! この街にピッタリ!
ご利用者も、典型的な下町の方!って感じの、面白い人が多いですよ。
職人さんや、中小企業の社長さんが、たくさん住んでいますね。
年齢を重ねていくと、人生の先輩から意見をもらえる機会が減っていくので、そんな時はこのエリアで訪問をすると良いです!
色々な人生を見せて頂いて、聞かせて頂けるので!!!
結核病棟からはじまり、訪問看護へと至る幅広い臨床経験
まずは、山田さんのご経歴を教えてください!
ご出身も、この近辺だったのですか?
いえいえ! 私の出身は新潟県です。
看護学校の進学を機に関東へ出てきて、そのままこちらの病院に就職をしました。
最初は、どのような病院・病棟に配属を?
学校が国立の看護学校だったので、入職も国立病院でして、配属は結核病棟でした。
何となくわかるかとも思うのですが、結核病棟って、やっぱり独特で…(汗)。
病棟というよりも、『サナトリウム』のような雰囲気が近かった。
宮崎駿監督の『となりのトトロ』や『風立ちぬ』にも出てくる、結核患者の療養所って感じですね。
そうそう。
あの頃って、「安楽死」という言葉が流行っていて、喀血して、具合が悪くなって、呼吸器を付けたら、
「そろそろ安楽死なのかな?」といった雰囲気があって、私はそれにすごく抵抗感がありました。
「自分は、急性期も救命救急も経験していないのに、安楽死という判断をする環境に慣れてしまっていいのだろうか?」
「本当は、こういった処置をしたら、この苦しさからは逃れられて、回復する可能性もあるかもしれない、といったことを、私が知らないだけなのではないか?」
といったことを、考えるようになっていったんですね。
新卒で配属になるには、少し特殊な病棟ですね…。
はい…。
それで、新しくできたばかりの病院のICUに転職をしました。
新設の病院に???
新設なら、みんなスタートラインが一緒だから、私のように経験の浅い者でも、働きやすいかなと考えて(笑)。
なるほど(笑)。
その後は、結婚や出産もあって、託児所付きの病院に転職をしたり、単発バイトにシフトしたりしたのですが、基本的にキャリアは空けずに、働き続けましたね~。
これまでの臨床経験の中で、「ここでの経験は訪問看護に特に活きたな」というものはありますか?
意外なところでは、大学病院の口腔外科。
病棟もオペも入っていたのですが、口蓋裂の子とか、骨折の方とか、舌癌の方とかとか…、ヘビーな状況の方も多かったですが、
口腔ケアはもちろん、子ども向けの口腔リハビリだったり、気管切開している方のごはん介助だったり、
そういった経験は、訪問看護に入ってからもすごく役立ちましたね。
あとは、訪問看護に入る前に働いていた療護センターですかね。
交通事故に遭った方ばかりが入院している病院。
交通事故に遭った方でないと、入れない病院なのですか??
そうです。
日本に6箇所しかないんですよ。
事故後、まずは救急病院に運ばれて、普通の病院に転院して、その後に運ばれるところ。
病床数は80床しかないのですが、高次脳機能障害の方や、寝たきりの植物状態の方が多く入院されていて、
寝たきりの方に向けたケアやリハビリも、在宅に入ってから、すごく活きましたよ。
結核病棟からスタートして、本当に幅広く様々な経験をされましたね~。
民生委員として受け持った、200名近い地域の高齢者たち
様々な病院・病棟で働かれた後、どのようにして山田さんは、訪問看護を始められたのですか?
先ほどもお話した、療護センターでの退院支援は、キッカケの1つですね~。
寝たきりの方や植物状態の方が、入院されていたのですが、私が働いていた当時で、5年は入院できました。
その後、3年に短縮されたのですが、それでも3年も入れるんですよ。
退院する時に、「施設か・在宅か」といった二択を迫られるのですが、3~5年も入院されていた寝たきりの方が自宅に帰るって、それは大変なことなんですね。
在宅で世話をすることになるご家族に、何度も来て頂いて、ケア、吸引、車椅子の乗せ方とか、色々と練習をしてもらうのですが、その支援も十分ではないな…と感じていました。
それであれば、病院側からではなく、在宅側からの支援をした方が、より自分のやりたいことに近いのではないか?
と考えるようになったのが、キッカケです。
退院支援を経て、送り出す病院側から、受け取る在宅側に変わっていったのですね。
まぁ、元々在宅には興味を持っていたのだと思います。
実家が、病人を看ている家だったということもあって、
「病院ではなく、住み慣れた地域で暮らせる方がいいな…」
といった想いは、看護学生の時から持っていました。
山田さんが看護学生の時なんて、在宅の「ざ」の字もないような時代ですよね??
本当そうですよ!(笑)
ただ、看護学生の時の卒業論文を、『保健所』をテーマにして書いていたりもしたので、
やはりその当時から、『地域』『在宅』といったことには、興味があったのでしょうね。
山田さんは、訪問看護を始める前に民生委員(※)もされていたそうですが、なぜ民生委員を??
※民生委員:厚生労働大臣から委嘱され、それぞれの地域において、常に住民の立場に立って相談に応じ、必要な援助を行い、社会福祉の増進に努める方々であり、「児童委員」を兼ねています。 (厚生労働省HPより)
本当にたまたまなんですよね~(笑)。
住んでいた自治会で、
「あなた看護師だから」
ってことで、運動会の救護班とかをやっていたら、その自治会の会長さんから、
「民生委員やってみない? 看護師さんだから喜ばれるわよ」
と、軽い感じで誘われて始めたのが、キッカケでした。
看護師は、どこでも重宝されますね(笑)。
私を含めて、『民生委員』の仕事のイメージがついていない方は多いと思うのですが、どのような活動をされるのですか?
高齢者の安否確認や健康管理、あとは虐待とかの家庭トラブルのお手伝いとかとか。
「地域のお世話係」みたいなもんですね。
役所の保健師さんとは、また違う??
対象が病気だけではなくって、家庭に入り込んでいくとこが違ったかな。
担当毎に、エリア内の60歳以上のご家庭すべてに入っていくので、私ひとりだけでも130世帯、夫婦合わせて200名以上は、受け持っていたかと思います。
すごい受け持ち数ですね…。
そう、本当に色々なご家庭がありましたよ。
全く家に入れてくれないご家庭や、ゴミ屋敷とか…。
ただ、私が看護師だということがわかると、健康相談も受けることが多くなっていって、
これであれば仕事として訪問看護師をした方が良いのかな、と思ったんですね。
ここのステーションを立ち上げる直前まで、民生委員はしていましたよ。
救急車搬送をするか否か、ご本人の想いと現場での葛藤
山田さんの中で、印象深かった在宅でのエピソードを教えて下さい!
う~~~ん……、やっぱりここのステーションを立ち上げて、最初のお看取りかなぁ……。
70代後半で、癌末期の女性の方でした。
すい臓、大腸、胃と、お腹まわりのガンが進行してしまっている方で、ご本人が身辺整理をする目的もあって、自宅に一時退院をすることになったんですね。
シングルで独居、離婚された元旦那さんと同じマンションの別の部屋に住んでいる方だったのですが、
ご本人のお部屋の環境が整ってなさすぎて、往診の先生からも、
「とてもここでは診れない」
といったことを言われました。
それで、元旦那さんのご好意で、そちらの部屋でベッドをお借りすることになり…。
その際、元旦那さんから、
「(本人も望んでいないし)亡くなった後、検死にかけたくないので、救急車を呼ばないで下さい」
といった希望を、事前に頂いていました。
それだけガンが進行してしまっている状況ですと、元旦那さんのお気持ちもわかりますね…。
そうなんですよ…。
ただ、その後すぐに状態が急変して、
「呼吸が止まりそう!」
といったことで慌てた私は、救急車を呼んでしまったんですね。
それで、救急車搬送後にお亡くなりになり、結局、警察が入ることになってしまい…。
私は、
「事前に約束をしていたのに、本当に申し訳ないことをした」
と思いました。
ところが、ご主人は私を責めることは一切せずに、
「元妻のために、最後まで一生懸命やってくれたことは、わかっているから」
と、仰って頂いたんですね。
ご本人としては、思うところは色々とあったと思うのですが、それを抑えて抑えて…。
まだ息がある状態だったのであれば、救急車で搬送して、病院で処置をした方が良いのか、
それともご本人たちの希望通り、そのままご自宅で息を引き取った方が良いのか、
山田さんが悩むのも、致し方ない状況かと思いますが…(汗)。
そうですねぇ…。
ただ、今になって思い返してみると、その時の自分には、
「家で看取る勇気・看取らせる勇気」が足りなかったんだな、
ということを痛く感じています。
「あの時、どうすれば良かったのかな?」
と考えることは、今でもありますね。
「やりきった」という心づもりに至る、在宅でのターミナルケア
「お看取り」での機微について、その後ご自身の中で、何か掴めたものはございましたか?
先ほどのケースのように、最初は終末期での介入の仕方について、悩むことは多かったです。
ただ、何件も何年も訪問を続けていく中で、自分なりにわかってきたことは、
「利用者さんやご家族が心づもりをしていく」
ことなのかな、といったことでした。
終末期の方とご家族が時間を共有していく中で、
「あ、この人は間もなく亡くなるんだな」
っていうことをだんだんと実感されると、
「最期に気持ち良くさせてあげよう」
とか
「楽しい話をしよう」
とか、ご家族の緊張感が取れて、〈ふっ〉と肩の力が抜ける瞬間があるんですね。
ご本人もそうですが、ご家族も、肩の荷が降りる感じになるのでしょうね。
はい。
お亡くなりになった後、もちろんご家族は泣きますが、
(本人も家族も)「やりきったな、お疲れさま」
って感じになるんです。
穏やかで、本当に良い最期になりますよ。
あるお母さんからは、
「ごめんなさいね、なかなかお父さんが死ななくって」
なんてことを、お父さんの身体を優しく撫でながら、言われたりして(笑)。
冗談でも、そこまで言えるのであれば、
本当に「やりきった」という感じなのでしょうね(笑)。
本日はありがとうございました。
取材を終えて
「秋葉原」と「両国」といった、都内屈指の観光名所の中間に位置する「浅草橋」駅から、歩いて数分といった好立地に事業所を構える、『訪問看護ステーションこんにちわ』。
2015年の設立から、順調に地域での信頼と実績を勝ち取っていき、現在では、山田さんを頼って、難しいケースのご相談が舞い込むことも多いそう。
働き方としては、「利用者さんに良いケアを提供するためには、スタッフが楽しく・満足して働ける環境が必要」
といったポリシーのもと、ワークライフバランスへの取り組みを強く意識されているのですが、まだまだ新しい事業所ということもあり、体制の整備は発展途上といった状況のよう。
カッチリとした組織で、マニュアル通りに働きたいという方よりも、
ベテラン管理者と二人三脚になって、新しい組織を創り上げていくぞ!
といった気持ちを持てる方が、よりやり甲斐をもって、楽しめる職場かと思います。
取材・文章:一和多義隆
事業所情報
事業所名 | 訪問看護ステーションこんにちわ |
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運営会社 | 株式会社こんにちわ |
所在地 | 東京都台東区浅草橋1丁目4-2-305 |
最寄り駅 | 総武線・都営浅草線「浅草橋」駅 徒歩1分 |
在籍人数 | 看護師7名(常勤2名、非常勤5名) |
従業員の平均年齢 | 40~60代のスタッフが在籍 |
ステーション詳細 | » より詳細なステーション情報を見る |
本日は、「浅草橋」駅前、雰囲気の良い飲み屋が立ち並ぶエリアのど真ん中に事業所を構える『訪問看護ステーションこんにちわ』の山田さんにお話をお伺い致します。
よろしくお願い致します!