とある専門看護師の戦略なきキャリア形成

インタビュー先の事業所とご担当者様

吉良 桂子さん 取締役/在宅看護専門看護師

訪問看護ステーション国立メディカルケア

東京都国立市

大変だったCNSコース 聖路加国際大学 在宅看護学コース修了!

一和多

本日は国立市を中心として、小金井市、国分寺市で3つの訪問看護ステーションと、居宅介護支援事業所やヘルパーステーションを展開する、

国立メディカルケアの取締役、吉良さんにお話をお伺いいたします。

 

よろしくお願いします!

吉良さん

こちらこそ、よろしくお願いします!

一和多

以前にお会いしてから、だいぶ日数が経ってしまいましたね(笑)。

 

その間に、聖路加国際大学の在宅看護学コースを修了されたとのことで、お疲れさまでした。

吉良さん

大学院2年で卒業できました!

一和多

この期間は、3日くらい通ってんですか?

吉良さん

最初は毎日でしたね。

そのあとは、取っている授業が少なくても、実習がとにかく多かったですね。

演習と実習の繰り返しで、あとは論文書きもありました。

私の場合は、課題研究が大変でしたね。

一和多

留年せずに、2年で何とか卒業されたと!

吉良さん

はい、なんとか!

一和多

同じコースに通っている、弊社の取締役の岩本は、社会人コースに通っていて、3年で修了する予定ですよ

 

吉良さんのように、訪問看護ステーションの運営をしながら、大学院に通うのは難しそうですよね。

吉良さん

ペースを掴むのはなかなか難しいと思います。

岩本さんは36単位だと思いますが、私は26単位で卒業でした。

一和多

それは年度的な?

いえ、CNS(専門看護師)コースで取得しなければいけない単位が変わったですよ。

一和多

その10単位分とは?

吉良さん

特論が3までだったのが4になり、あとは実習や演習も増えているので、取らなければいけない単位が多くなっていると思います。

 

だから、結構厳しいと思うんですよね。

ステーションとしての価値確立のため、3年計画が始動

一和多

吉良さんが、大学院に行こうと思ったきっかけや、CNS取ろうと思ったきっかけを、教えてください。

吉良さん

一言で言うと、会社のためですね。

 

やっぱり、これから認定専門がいないと、ステーションとしての価値が確立されないかな、って思ったんですね。

 

やっぱり、対面的にも、実践の質を上げるためにも、必要ですよね。

 

そこで3年計画で、認定と専門を合わせて3人輩出しよう、という戦略を立てて、キャリア開発をしたんです。

一和多

所長の清水さんが訪問看護認定看護師、副所長の横山さんが認知症認定看護師、そして吉良さんが在宅看護専門看護師ですよね。

 

専門と認定は、どのように分けたのでしょう?

吉良さん

正直、認定と専門の違いも、最初は分からなかったんです。

 

そこで、聖路加の山田雅子先生に、違いを聞きに行ったんですけど、ただ漠然と「大学院と認定のコース」というだけで、何がどう違うのかを、ちゃんとは教えてくれなくて。 

 

そこで、「全員が認定じゃ面白くないから、私は専門に行こうかな」という感じで決めました。

一和多

ちなみに、大学院を卒業された今、専門の看護師について、どのように捉えていますか?

吉良さん

専門の看護師は、イノベーションを求められていると思います。

 

自分たちでプレゼンやリサーチクエスチョンを立てて深めて検討して答えを導いていく。

 

現場でうまくいかないポイントを見つけたら、解決するための革新的な動きが求められているだな、と現場に帰って感じました。

一和多

なるほど。

ちなみに、CNSの同期で経営者の方っていました?

吉良さん

大学院を卒業した後に、事業所を立ち上げた人はいましたね。

 

あとは、在学中に訪問看護ステーションを経営していたお母様が亡くなって、「私が跡継ぎしなきゃ」と、腹をくくった人もいましたよ。

卒業もして、今は後を継がれているみたいです。

一和多

すごいですね。

実践家としての強い思いが、聖路加での学びによって実を結んだ

一和多

資格取る前と取ったあとで、違いはありますか

吉良さん

そもそも「CNSを取ったらしっかり実践に戻ろう」と思っていたので、今は受け持ちを持ったり、実践を重ねたりしています。 

 

そこから、今までやったことの振り返りや連携の見直し、チームワーク編成といった作業をしている中で、見えてくるものはいっぱいありますね。

一和多

2年間で学んだものが、活きますか?

吉良さん

そうですね。

やっぱり、教員のところに面談に行って、色々言われる一言一言がちくちく刺さっていて、それを糸口に辿っていくというか。

一和多

今の現場の作業に結びつけて、

「こういうことだったんだ」

という発見があるわけですね。

吉良さん

そうですね。

あとは、私も実践をしている中で、人が増えて経営面やトラブルも増えた時に、そこにかかりっきりの数年間は、現場と両立ができなくなっていた時期がありました。

 

その中で「もう一回実践家としてきちんとやっていきたい」

というふつふつとした想いも、CNSを取るきっかけでした。

一和多

何を選んで何を捨てるか、という状況にあったと。

吉良さん

当時は、実践家の部分を諦めて捨てていたんですよね。

自分の希望よりも会社が大事なので、所長を清水さんに渡して引っ込んでいました。

 

だけどその数年を経て、会社の戦略と「実践家としてもうちょっとやりたい」という想いが、うまいこと重なったんです。

一和多

会社の戦略がなかったら、どうなっていたと思いますか?

吉良さん

あのままだったら、おそらく私は、プラトーだったかもしれないですね。

 

日々の実践の深め方も、何を勉強すべきなのかもわからず、振り返りも十分にできずに、一日一日が過ぎていって、経験的に物を言うだけの人になっていたと思います。

 

やはり、聖路加であれだけのことをやってきて、

何をどう学習していけばいいかがわかったので、一つひとつのケースにぶつかったときに、ちゃんと問いを立てて、答えを見つけながらやれているのかな、と感じます。

一和多

聖路加で学んだ、言語化や系統立てるスキルが、役に立っている?

吉良さん

そうですね。

大学院は概念を勉強するので、今まで感覚だけでやっていたことを表現する言葉を身に付けられる場所ですよね。

 

実践に戻っても「これはこういうことなんだな」と、言葉で説明できることが増えました。

 

説明ができると認識も変わってきますから。

職場を転々とするのはステップアップじゃない!

一和多

スタッフのキャリアアップにおいて、認定や専門資格の取得のサポートも考えていますか?

吉良さん

もちろん、長くいる方には、チャンスを広げてあげたいな、と思いますね。

 

どんなにスピリットの高い方でも、漫然と一日一日の業務をやっていて、学ぶ方法を知らなかったり、体系化したものや知識を得る機会に触れなかったりすると、自分の実践の解釈や意味付けができないんですよね。

一和多

OJTの部分ですよね

吉良さん

そうですね。

ある程度そういったことができる方と対話したり、それをリフレクションしたりすることって大事。

あとは、アカデミーに行って、学習していく作業とかですね。

 

本当にそういうことをしないと、ずっとプラトーで、そのうちつまらなくなってしまうし、ワークライフバランスに徹する人になってしまうと思います。

一和多

それで「つまらないから」といって、職場を移る人も少なくない気がします。

吉良さん

それで新しい職場で、チームも利用者も一新するから、何だかリフレッシュした気持ちになるし、自分自身も何となくステップアップしたような気になっちゃうんですよ。

 

でも、実際はステップアップじゃない。

それに気づかずに、転々とする方っていっぱいいます。

 

社外の研修へ出てただ知識を得て、自分の現場に活かす以上の学びをするとすれば、やっぱり認定とかに行った方がいいと思います

学びの質が全然違いますから。

一和多

専門認定が両方いる事業所は本当に少ないので、

ここならではのメッセージですね。

吉良さん

そのために黒字を出して、しゃかりきになって、お金を貯めていかなくてはいけないですけどね(笑)

高知県の神社で神職? 異色の経歴からの訪問看護

一和多

吉良さんのご経歴について、教えて頂けますか?

吉良さん

はい。

日赤の看護学校を卒業後、日赤医療センターに入職をしました。

 

その後、結婚して辞めたのですが、相手が神主さんだったんです。

高知県にある神社の24代目の跡取りでした。

なので、いずれは継ぐということで結婚して、2年ほど東京で過ごした後、夫婦で高知県に帰って家業をやっていました。 

私も神職の資格を取って、お祭りをやっていたんですよ。

一和多

神職の資格ももってるんですか 

吉良さん

やってましたよ~!

七五三とお宮詣り担当で、時々家の祈祷とかですね。

一和多

どのようなことをしていたのですか?

吉良さん

家祈祷(やぎとう)って言って、お正月になると家を一件一件まわって、大祓あげて、祝詞呼んで。

 

1件1,500円とかで、ほんと食べていけないよって。(笑) 

それを30件とかやるんですよ、1日で。

 

高知に戻って、子どもができたのですが、4年半ほど神主をやると

「やっぱり食べていけない」と先行きが不安になったり、旦那が後を継ぐのが嫌でノイローゼになったりして、神社は結局人手に渡りました。

 

それで、東京に出てきたんですけど…。

「社会貢献をしなさい」と言われて介護から入った在宅

一和多

そこから、どう在宅に?

吉良さん

知り合いのヘルパーの方から、「社会貢献をしなさい」と言われて、引きずり出されたのが、きっかけです。

 

昔から知っているおばさんなので、逆らえなくて(笑)。

その人のお手伝いで、在宅介護のヘルパーさんやってました。

その方に在宅を手取り足取り、教えてもらいましたよ。

一和多

何年くらいやられていたですか?

吉良さん

結構長かったんですよ。

2人目の子どもができる前からやっていたんですが、出産後にしばらく休んでまた復帰して、その後に3人目が生まれて、またちょっと休んで、という感じで、4年くらいやっていましたね。

一和多

当時はまだ、介護保険もない時代ですね。

吉良さん

そうですね。

2箇所のステーションで勤務。国立メディカルケアへ。

一和多

介護ヘルパーから、訪問看護に移った経緯は?

吉良さん

その間に、私の父が自宅で亡くなったんですよね。

食道癌でした。

 

介護保険が発足するちょっと前で、ケアマネもいない時代だったのですが、訪問看護を入れたんです。

 

当時、私自身は看護師に戻る気は全くなく、旦那も私が働くことに、前向きではなかったんですよ。

 

でも、自分で訪問看護を受けてみて、自宅で父を看取ったことで、

何となく「看護師やってみようかな」という気になったんです。 

 

その後、病院付きの訪問看護ステーションで勤務した後に入職したのが、国立メディカルケアでした。

一和多

こちらは、中途入社だったのですね!

吉良さん

そう、私が立ち上げたわけではないです。

一和多

国立メディカルへの入社を決めた理由は?

吉良さん

看護師を5人募集していたんですよ。

5人募集するということは、大きくて良い所なのかな、と思って。

一和多

リニューアルじゃないですか(笑)。

吉良さん

ほんとですね(笑)。

騙されちゃった。

 

旦那と車で外観を見に来たら、4月ということもあって、桜がとてもきれいに咲いていて、すごく好印象だったんですよね。

 

でも、中は汚いアパートでしたね(笑)。

今はもうない建物なんですけど。

一和多

それで入られて、3ヵ月で所長をやれ、と言われたわけですね。

ちなみに、取締役になるきっかけは、何だったですか?

吉良さん

今まで取締役だった人が代表取締役になって、取締役がいなくなったですよ。

それで「やれ」と言われて、なりました。

一和多

そうなですか(笑)。

もうちょっと良いストーリーがほしかったです(笑)。

吉良さん

そうですよね(笑)。

行き当たりばったりのキャリアです。

クレームから始まった、パーキンソン患者の救急車搬送

一和多

訪問看護の中で、印象深かった利用者さんのエピソードを教えてください

吉良さん

80代のパーキンソンの利用者さんですね。

ご子息と奥様の3人暮らしの方でした。

 

ただ、最初に私のアプローチが悪くて、クレームがきてしまったんですよ。

でも、訪問を重ねていくにつれて、信頼をしてくれるようになりました。

一和多

長いお付き合いだったですね。

吉良さん

はい。

あるとき、誤嚥をされたんですね。

「すぐ病院行ってください」と言ったんですけど、

「熱は下がったから」と結局行かれませんでした。

 

でも、パーキンソンの方って、肺炎を起こしていてもわからないんですよね。

次の日に訪問に行ったら、肺の音も良くないし、サチュエ―ションも下がっているなと思ったので、別に苦しそうにしているわけでもなかったんですけど、救急車を呼んでもらったんです。

一和多

「病院に行って」って言っても、どうせまた行かないから?

吉良さん

そうですね。

そして受診させたんですよ。

見た目は平気そうなのに、救急車を呼んで、4時間も待たされてレントゲン取ってと、仰々しいことをしているな、とは思いましたが、診察で先生がびっくりしていたんです。

なんと片肺が真っ白。

 

『これでよく救急車で来たね。よっぽど優秀な看護師さんに看てもらってるんだ。よかったね』と先生に言われたんだ」

 

と言われたんです。

一和多

その後、その方はどうなったですか

吉良さん

ご本人は程なく退院できずに亡くなりました。

奥様から電話がかかってきて、

 

「ありがとう。先生にこう言われたから、本当によかった」

 

と言ってもらえたのが、印象に残っていますね。

 

それから、奥さんも何かがあると相談に来てくれるようになったり、息子さんが脳梗塞で倒れた時も、ステーションに相談しに来てくれたり、すごく頼ってくれるようになって。

一和多

最初は、クレームがあったご家族だったですもんね。

吉良さん

そうですね。

私がマネージメントなど、やらなきゃいけないことが増えてきた時期だったので、

「実践は他の人に任せよう」と考えたきっかけにもなりました。

 

このご家族に、ここまで評価されただから、という諦めがついたというか。

とりあえずの区切り、と思えたケースでしたね。

パラメータの多さが在宅の魅力

一和多

訪問看護を検討している方に向けたメッセージをお願いします。

吉良さん

在宅看護は病院と違って、その人の生活全体を見ますよね。

 

その人だけではなく家族もいるし、1人で住んでいても、家族の関わりや生活の場、地域とのつながりも見ないといけない。

 

他職種との連携でもって支えているので、その人に関わっている資源も見る必要がある。

一和多

パラメータが多いですよね。

吉良さん

そう、カウントしなきゃならないんです。

でも、そこがおもしろいところだなと思います。

 

例えば、情報をもとにアセスメントした結果、問題だと思ったものが出てきたとしても、それは見る人のふるいによって違ってきます。

だから、簡単には同じ課題にたどり着かない。

一和多

何となく、目の付け所が変わってきたり、問題点が変わってきたりとか。

吉良さん

そうですね。

倫理的な問題も多いし、何が正解かもわからない部分もある

 

だから、答えをかっちり出さないと気が済まない方は、もやもやして嫌かもしれませんが、それをおもしろいと思える人は、とてもハマると思います。

人生経験が理解のレベルを上げる。神主の経験が活きた。

一和多

神主なども経験されてきたわけですが、人生経験があると、利用者さんなどの共感を得たり、寄り添っていく上で、メリットは感じますか?

吉良さん

経験があれば、理解のレベルも変わってくるので、

「この状況をこう理解しました」って思っている中で、新しい情報や人の意見を注入すると、もうその現象の理解のレベルは変わってくる。

 

「さっきはこう言ったけどやっぱりこうか」ということが、しょっちゅうあります。

一和多

柔軟性ですよね。

 

ちなみに、神主の資格が活きた思うこともありますか?

吉良さん

日赤では、眼科と耳鼻科の混合のところにいました。

色々な疾患や年代の人がいるんですけど、耳鼻科の患者さんは比較的若く、眼科の患者さんはご高齢の方が多かったです。

その時から、ご高齢の方とは接点がありました。

 

でも、神主やってる時は、村全体が高齢化していたので、そこで家に入って、ご高齢の方とたくさん接した時の感覚はすごく活きていると思います。

 

お話をしたり、家に入っていく中で、その方の人生や家族のありようを感じられたりしましたね。

一和多

吉良さんは、これまでの経験の全てが、現在につながっている感じがしますけどね。

吉良さん

そういう風に言っていただければ、そうなんですかね。

何も戦略はなかったんですけどね。

 

これまでの人生経験全てが、無駄ではなかったのだと思います。

取材を終えて

一和多

国立市・国分寺市・小金井市にまたがって訪問看護ステーションを展開する、国立メディカルケア

 

看護部門を取りまとめる取締役の吉良さんは、ご自身のキャリアのことを「行き当たりばったり」と表現していました。

自身の望む遠い未来を見据えたキャリア構築ではなく、目下の課題に向き合い続けた結果として、訪問看護の実践者であり、経営者、はては在宅看護学の専門看護師としてのキャリアを手に入れた吉良さんのご経歴は、これから在宅領域でキャリア形成をしていきたいと考える方にとって、学びとなる点が多いのではないでしょうか?

 

なお、今回は取締役の吉良さんへのインタビューでしたが、管理者で訪問看護認定看護師の清水さんも、ユニークで面白い方ですよ!(笑)

取材・文章:一和多義隆

事業所情報

事業所名 訪問看護ステーション国立メディカルケア
運営会社 株式会社国立メディカルケア
所在地 東京都国立市東1-17-20 サンライズ21ビル302号室
最寄り駅 中央本線「国立」駅 徒歩7分
在籍人数
従業員の平均年齢

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