お家での表情とお外での表情
台東区と文京区、訪問看護師から見た2つのエリア
はい、大変緊張をしておりますが……よろしくお願いします!
土屋さんは、以前は、同法人が運営する『訪問看護ステーションたいとう』で働かれていた、と伺いました。
台東区と文京区では、地域柄や利用者さんの様子もかなり違うかな? と思うのですが、いかがでしょう?
全然違いましたね。
台東区のステーションでは、特にディープな下町エリアをまわっていたので、古くて今にも倒れそうなお宅への訪問も多かったですし、簡易宿泊所のような場所に住まわれている方もいました。
一方で、文京区は坂が多く、山の手のほうには立派なお屋敷に住まわれている方がいるかと思えば、谷のほうには経済的にあまり裕福でもない方も…。
「貧富の差」とまでは言わないのですが、二極化の進んでいるエリアなのかな? と感じます。
それぞれのエリアで、ご利用者の気質にも、特徴って感じられますか?
はい、台東区の方は、やっぱり浅草(江戸っ子?)気質なんですよね。
「四の五の言わずにあんたに任せた。よろしく!」
っていうようなやりとりで、身を任せてくれるんです。
一方で、文京区にきてから、同じ感じで訪問をしてみたら、
「自分でも判断をしたいので、ちゃんと説明をしてもらわないと困ります」
みたいなことを言われてしまい…(苦笑)。
キッチリとされていますね(笑)。
そうですね(笑)。
ただ、人やエリアは違っても、同じ訪問看護ではあるので、
こちらの利用者さんとの距離の取り方や雰囲気を掴めてからは、特に抵抗なく入っていくことはできましたね!
文京区初となる、看護小規模多機能型居宅介護の運営現場
早速ではあるのですが、こちらのステーションの特徴について、お伺い致します。
こちらの特徴は、何といっても『看護小規模多機能型居宅介護(通称:看多機)』付きの訪問看護ステーション、というところではないかと思います。
どのような経緯で、看多機をやることになったのですか?
※看護小規模多機能型居宅介護とは? https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/0000091119.pdf (厚生労働省『看護小規模多機能型居宅介護の概要』)
まず、ここは文京区でも、第一号の看多機なんですよね。
うちの法人としても、
「これからは看多機が絶対に必要になる」
と考えていたところ、文京区が地域密着事業の一環として、看多機の運営主を探していて、うちがそこに選ばれたという形です。
ここが、文京区初の看多機だったのですね!
病棟の看護師さんの中には、
「看多機って実際なにをやるの?」
といった方も多いかと思うのですが、こちらではどのような業務をされていますか?
看多機に期待される役割の一つに、医療処置が必要なご利用者の受け入れがあります。
気管切開をされている方の吸引や、胃ろう・腸ろうの経管栄養管理、CVポートが入っている方もいるので、針の交換・ルート交換…等々。
その他にも、お薬の管理をはじめ、ご利用者みなさんの集団でのレクリエーションをしたり、施設内でのお風呂の介助をしたりといった、施設看護的な業務も入ってくる感じですね。
なるほど。かなり幅広い業務内容になりますね!
ご利用者側としての看多機の利用ニーズは、どのようなものが多いですか?
ショートステイとしても使えるので、現在はご家族のレスパイト目的で利用されることは多いです。
先々は、うちの看多機内でのお看取りや、子どもも含めた多世代を看ていきたいといった構想もあるのですが、いまはそこまでは手が回っていない、といった状況ですね。
正直なところ、看多機をOPENしたのが2016年で、現在も試行錯誤をしながら運営体制を模索している感じです。
最初は、看護師メンバーがローテーションで、
「訪問看護の日」
「看多機の日」
を振り分けていたのですが、そこの両立が、現場的には割と大変だってことも分かり…。
現在は、看多機をメインでみるスタッフがいて、訪看のメンバーは、看多機メンバーの手が回らない時だけサポートに入る、といった体制になっています。
『看多機』自体が定められたのが平成27年と、まだまだ最近のことですので、運営に関しては、どちらの法人でも模索中といった印象を受けますね。
ちなみに、スタッフ希望があった場合、訪問看護と看多機の両方の業務をやっていくことは、可能なのですか?
はい、ご本人の希望があれば、そこは相談可能ですよ!
看多機で働いて、「面白いな」と思うのが、
訪問看護で見るご利用者さんのお顔と、看多機に来てる時の利用者さんのお顔が、違うんですよね。
私がずっと担当をしている、ある認知症のご利用者さんは、訪問でご自宅に伺う時はすごく丁寧に迎え入れてくださる方で、
「いつもありがとうございます。」
「またよろしくお願いします」
といったことを、仰って下さる方なんですね。
ただ、看多機に来て、他の利用者さんとの集団の中に入ると、大声でお話をされて、自己主張が強くなったり、
「他の方はこうなのに!」
とすごく怒ったり、されるんです。
ご自宅の様子と外での様子、1対1の時の様子と集団での様子、どちらも見ることができるのは、すごく興味深いなと思いますし、
「自分は、この方の1面しか見てこなかったのだな」
と、改めて考えさせられます。
イメージとしては、逆のパターンの方が多そうですけどね?
ご自宅の方では態度が大きくなって、外では畏まる、内弁慶のような。
う~~~ん、そっちのパターンの方は、少ない感じがしますね!
それだけ、ここの看多機でも、リラックスして素顔をさらけ出せている、ってことかもしれないですね?
そうだと嬉しいですね。
きっと、私たち看護師やヘルパーさんも、自宅で見慣れた顔が迎え入れてくれる、といった安心感は大きいのでしょうね。
海外生活の軍資金目的ではじめた訪問看護が、まさかの天職に!?
ここからは、土屋さんのご経歴について、教えて下さい!
まず、ご出身はどちらになりますか??
出身は長野県です。
長野で看護学校を卒業して、県内の病院に入職をしました。
中規模程度の市中病院で、内科、小児科、精神科と、色々な診療科を経験させてもらえました。
小児や精神も、経験されていたのですか!?
小児科といっても、混合病棟で、ここの1室だけは小児部屋、といった程度の分け方だったので、しっかりと小児科に取り組んだ、とは言えないのですが。
そこからは、どのようなキャリアを?
奨学金の返済が終わった後、より地元に近い病院に転職をしようか、と考えました。
ただ、どうせ地元に帰るのなら、看護師としてではない、自由な時間を過ごしてみたいと考えて、ワーキングホリデーで、海外生活をすることになったんですね。
病棟疲れした看護師さん、あるあるのやつですね。
オーストラリアですか?
そうですそうです(笑)。
やっぱり(笑)。
海外生活はどうでした?
それがすごく楽しくって(笑)。
「これはまた行きたい!」
と思ったのですが、それであればお金を貯めないといけないじゃないですか?
それなら、よりお給与の高い東京に出ようと考えて、上京したという動機でした。
訪問看護は、どのような経緯で始められたのですか?
お金を貯めるため、派遣に登録して、色々な仕事をしていた中の1つが、たまたま訪問看護だったんですよね。
なので、本当に軽い気持ちで訪問看護を始めましたし、
訪問看護が具体的にどんな仕事をするものか、イメージも全くない状態から、スタートしています(苦笑)。
始める理由は、人それぞれで良いと思いますよ(笑)。
それで、実際に始めてみた訪問看護は、いかがでしたか??
「楽しい!」と思いましたね。
あと、夜勤もないし、病棟のような生死に関わる緊迫感もない、これは良い仕事を見つけたぞ!と思いました(笑)。
そこから、ステーション側からも、
「派遣ではなく、正式に入職をしてみませんか?」
というオファーを頂いて、最初は非常勤からはじめ、常勤になり、気づけば10年以上続けて、現在に至ります。
また海外へ行くとか、地元に戻って働く、といった考えにはならなかったのですか?
そうですね。
そろそろ(年齢的にも)ちゃんと生活をしていかないといけないぞ、と思ったのと、こちらで暮らしている間に、やっぱり東京がいいなぁ…ってなったんですよね。
東京の方が刺激あるし、田舎は退屈だな~と(笑)。
なるほど(笑)。
そこからは、東京に根を下ろし、こちらの法人で長く働かれて、管理者まで任されるようになっていったんですね!
受け入れ拒否をする病院と、自宅で苦しみに耐えるご利用者
土屋さんが、これまで看てこられた利用者さんの中で、印象深かった方のエピソードを教えて頂けますか?
ちょっと昔の話なので、制度面など今とはちょっと事情が違うかな? といったエピソードでも良いですか??
はい、大丈夫ですよ!
ご利用者が、50代で乳がん末期の女性の方でした。
ご主人が、単身赴任で離れていて、高校生になる娘さんとの二人暮らしをされていました。
元々は、大きな大学病院で入院をされていたのですが、
「最期だけでも自宅で過ごしたい」
といったご希望から、大学病院の連携室が調整をして、地元の病院、往診の先生、それと訪問看護として、うちが入ることになりました。
その方は、胸の潰瘍から胸水が溜まりやすくなっていて、病院で胸水を抜いても、3日後には苦しくなってしまうような状況だったんですね。
連携室の方からは、
「ご自宅で過ごせるよう(各種連携は)整えておきますから」
といった話で訪問に入っていたので、地元の病院に相談をしたところ、
「診察もしていないのに、そのような状態の患者さんを、(緊急で)受けることはできない」
と言われ、さらに往診の先生からも、
「そんな重症な患者は診れない」
と断れてしまいました…。
困った私は、元いた大学病院に問い合わせたのですが、
「うちを退院した後だから、関わることはできません」
と、こちらからも断られてしまったんです……。
ただ、ご利用者は目の前で大変苦しんでいて、連携室の方に、
「どうにかして下さい!」
と泣きついたところ、
「救急車を呼んで下さい」
といった回答でした。
なるほど…。
救急車であれば、受け入れざるをえないので……と。
そうですね…。
それで、ご本人に事情を説明して、救急車を呼ぶ旨のご案内をしたのですが、ご本人から、
「このことでご迷惑をおかけしたら申し訳ないので、救急車は呼ばないで下さい」
と仰るんです。
えぇ……(汗)。
最終的には、ご自宅で何日も苦しんで、耐えて、
「もう限界」ってときに、大学病院に運ばれていって、そこでお亡くなりになりました。
私としても、今でも思い出すと、感極まってしまう、忘れられないケースですね…。
その当時の状況や、病院側の対応を伺う限り、かなり難しい状況でしたね…。
訪問看護師だけでできることは、限られますし。
そうですね…。
当時は、今ほど在宅でのペインコントロールの体制も、しっかりしていなかったですし、難しい面は多々ありました。
ただ、自分自身の未熟さや、経験不足も大きかったな、という思いも捨てきれません。
今だったら、病院に押しかけてでも、診てもらうようお願いしますし、うちの法人の病院に移す調整も、できたかもしれません。
そこまでやる勇気が自分になかったのだと思います。
それからは、
「今できる最善のことは、すべてやろう」
という想いで、ご利用者に向きあうようになりましたね。
自分自身の世界も広げてくれる、訪問看護での関わり方
こちらで最後となるのですが、土屋さんからみた、
訪問看護の「魅力」のようなものは、ズバリなんでしょう?!
う~~~ん、、、
自分の知らない世界が広がることですかね?
私自身は、ずっと看護畑で生きてきた人間なので、訪問看護で色々なご家庭にお邪魔をするようになって、自分が知らなかった世界のことや、自分ではできないような経験のお話が伺えて、
自分自身の世界も広がる感覚が楽しいな、と思っています。
訪問看護は、関わり方が深くなることが多いので、特に人生の最期を迎えられる方は、心を開くと色々なお話をして頂けることは、多いと思います。
やはり、在宅での終末期やお看取りは、やりがいがありますか?
ありますね!
ご本人にもご家族にも、悔いが残らず、円満に最期の迎えて頂きたいと思っていますし、そういったコーディネートができた時は、私自身としてもすごく嬉しいです。
訪問看護歴も10年を超えて、やっとそういった調整の機微も、わかるようになってきたのかな、と思っています。
本日は、ありがとうございました。
取材を終えて
文京区と豊島区との区境に位置する、『ひかわした訪問看護ステーション』。
最寄りに山手線、都営三田線、丸ノ内線と、様々な路線が入り組んだ、アクセスの良い場所に位置しており、
近隣在住の方が働いていることの多い訪問看護ステーションとしては珍しく、スタッフもこちらのエリア外から通われている方が多いそうです。
こちらの特徴としては、何といっても『看護小規模多機能型居宅介護』付きステーションということ。
敷地面積は決して広くはないのですが、2016年に新設をしたばかりの建物はまだ新しく、訪問看護と施設が一体化した建物は、各種の連携やご利用者との関わりの面でも、非常に働きやすい環境かと思います。
都内でも、まだまだ少ない看多機での働き方が経験できるチャンスですので、
「在宅も施設も興味がある!」という方は、是非ご検討下さい。
取材・文章:一和多義隆
事業所情報
事業所名 | ひかわした訪問看護ステーション |
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運営会社 | 東京都保健生活協同組合 |
所在地 | 東京都文京区千石4丁目1番2号 千石にじの家1階 |
最寄り駅 | 山手線「巣鴨」駅、都営三田線「千石」駅、丸の内線「新大塚」駅 |
在籍人数 | 6名(看護師:常勤5名・非常勤1名) |
従業員の平均年齢 | 40~50代のスタッフが在籍 |
ステーション詳細 | » より詳細なステーション情報を見る |
本日は、東京都保健生活協同組合が運営する、『ひかわした訪問看護ステーション』の管理者、土屋さんからお話を伺います。
よろしくお願いします。