「寄り添う」ことの難しさ
インタビュー先の事業所とご担当者様

中村 敦子さん 管理者
へいあん訪問看護藤沢
神奈川県藤沢市
産休や子育ては付きもの、それでも残ってもらいたスタッフがいる。

よろしくお願いします!!

平塚にも訪問看護ステーションを展開されているへいあんさんですが、なんでも常勤スタッフの退職や、藤沢から平塚へのスタッフの異動が重なってしまったとか?

そうなんですよ~~~(汗)。
旦那さんの仕事と、子どもの保育園の兼ね合いですね。
住居が平塚と藤沢の真ん中あたりで、保育園が平塚寄りの方だったんですよ。

それは仕方がないですね…(汗)。
ただ、異動といった形でもよく残ってくれましたね?

最初は「辞める」と言っていたんです。
ここで産休を使いながら子どもを3人育てているスタッフだったので、「ずっと産休を頂いていたのに申し訳ないので…」と。

ただ、人柄も良くて一生懸命頑張る子だったので、辞めるくらいであれば、法人内で異動をしてでも残って欲しい、と頼み込んで、了承してくれました。
うち(藤沢)の事業所としては、泣く泣く手離した形です…(泣)。

出産・育児・旦那の仕事問題は、女性の職場だとどうしてもついて回りますからねぇ…。

コスパが悪くても、教育は手厚く丁寧に。

こちらの平塚事業所と藤沢事業所で、特徴の違いなどはございますか?

利用者さんの重症度が違いますかね。
私ががんの専門病院出身で、がん末期の利用者さんを看たいって想いがあり、そういった点で利用者さんの傾向は変わるかと思います。

確かに、平塚の方は介護寄りの利用者さんが多い印象ですね。

そうですね。
藤沢の方は、ALS、呼吸器を付けている方、お看取りなど、医療寄りの方が多いです。

こちらのエリアは大きな病院が近くにないので、医療的な処置が必要な方も、在宅を選ばれることが比較的多いと伺ったのですが、他にも地理的な特徴はございますか?

藤沢市の南側になると、昔からこの近辺に住んでいる年配の方が多い印象です。
あと、この亀井野エリアの特徴は、何故かALSの方が多いんですね…。
理由はわからないのですが、保健師さんからもそのように聞いています。

ALSの専門病院が近くにある、といったこともないので、ALSの患者さんがわざわざ引っ越してくるということも無いはずなのですが…。
なので、こんな小さなステーションなのですが、うちは常時ALSの利用者さんがいますね。


教育面でのサポートはどのようにされていますか?

退院前に病院に行くところから、私がどのように調整しているか、同行してもらって見てもらっています。
チーム制とはいえ、症状が重い方は、中核になっていく人が決定をしていくので、担当者会議などにも連れていきます。
同行や時間でコストは大きいのですが、これも教育の一環としてやっております。

あと、要所要所、悩み事があったり、ここをどうやったら良いんだろう、といった相談のときは、他のスタッフに参加してもらって考えてもらいます。
それで、複数の目でディスカッションをしてもらって、最終的には管理者である私に相談をする、といった感じでやってます。
主導はスタッフ。
私の意見がどうしても強くなってしまうのでそこは注意してます。

また、新しい機種や機材が入った時は、病院にお願いして、研修・見学に参加させてもらっている。
そして、チームカンファの時にそれを共有しています。

訪問看護未経験の方や、現場に不安感がある方への配慮がかなり手厚いな、という印象です。
スタッフの経験者・未経験者の割合は?

経験者は、私を除けば1人のみですね。

ほとんどのスタッフが未経験からスタートしているのですね。
単独訪問まで、皆さんどれくらいかかったんですか?

かなり個人差がありますね。
GOが出せるまでは、同行訪問は外さないようにしています。
少し時間がかかっても、不安を抱かないように、同じ人に4回でも5回でも同行するようにしてもらっています。
それでどこかで、ポンっと背中を押して、単独訪問へ進む。
それでもやっぱり不安が残る時は、再度、同行をつけて、もう一度おさらいをする。
そういうプロセスを組んでいます。

そこまでしっかり面倒をみてくれる事業所は少ないですよ。

会社からは言われますよ。
コストパフォーマンスが悪いと(笑)。

退職の噂を聞きつけられて、ドンドンと訪問看護の世界へ。

中村さんの、これまでのご経歴を教えて下さい。

出身は大分県の田舎者です。
都会に出たいと思って、看護学校から横浜に出てきました(笑)。

先日取材をした管理者さんも、九州出身でしたね。

看護師は、九州からの出稼ぎ組が多いんですよ~~~。

卒後は、神奈川の病院に入職をしました。
そこで、頭頸部外科と放射線治療科の混合病棟や、血液内科と救急病棟の混合病棟、あとは外来なども経験をしましたね。
そこには合わせて11年いましたね。

転居を機に退職をしたのですが、そんな時に、外来で出入りをしていた訪問看護ステーションの管理者の方が、どこからか私が辞めることを聞きつけていて…。
5ヶ月後には転居が決まっていたのに、「5ヶ月でいいから、訪問看護やってみようよ」と、声をかけてもらったのが、在宅看護をはじめたキッカケですね。

5ヶ月間だけってのも凄いですね(笑)。

本当ですよね(笑)。
ただ、それですっかり訪問看護にハマりましたね。


転居後も、また訪問看護をやりたいと考えていて、また、がんターミナルに興味があったので、その領域での在宅看護を積極的にやっているところを探して、病院の訪問看護ステーションに再就職をしました。

病院の訪問看護ステーションはどうでした?

やはり違いましたね。
医師が近くにいるメリットも大きかったのですが、病棟の延長のような働き方にもなってしまっていました。
どうしても、医療寄りになってしまうんですよね。
主は利用者さんだったり、ご家族の気持ちや想いを尊重するべきだと思うのですが、医師の意見が一番になってしまうんですよね。

ただ、バックに医師がいて、医師の指示をすぐもらえるし、カルテが簡単に見れるし、医師が何を考えているのかすぐわかる。
これのメリットは大きかったですね。

その病院付きのステーションの後が、こちらの「へいあん」さん?

そうですね。
ちょうど、主人の親の介護での退職だったんですが、なぜか当時のへいあんの管理者が、退職の噂を聞きつけてきて(笑)。

あれ、このパターンどこかで聞いたことがあるぞ(笑)。

そうそう(笑)。
とてもじゃないけど、親がどうなるかわからないし、働けません、と言ったんです。
そうしたら、「パートで良いから」と言われて、パートで入って、気づけば常勤に切り替えていましたね。

あるあるのパターン(笑)。
それで現在は管理者をされているのですね。

ひとつひとつの判断が難しい、看護師として関わりの線引きに苦悩した利用者さん。

印象深かった、利用者さんとのエピソードをお願いします。

3年ほど関わらせて頂いた、ALSの50代のお母さんですかねぇ…。

お母さんが50代ですと、まだお子さんも若かったですよね?

男の子どもが3人いて、下の子どもが18くらい。
主介護者は、三男さんでした。
また、このお子さんが、統合失調症のある方だったんですよね…。

ちゃんと介護できていたのですか?

いや、大変でしたね。
大きなスプーンを使って、お母さんが窒息しそうになりながらご飯を食べさせたり。
あとは、お母さんが失禁してビショビショになって、椅子から崩れ落ちそうになっていても、本人がその気にならないと対応をされないんですよね。

他のご家族のサポートは?

他のお子さんは、お母さんは大事にしているけど、「近寄りたくない」「触りたくない」 って感じ。
また、ご主人は、会社経営をされていて忙しい方でした。
ただ、あまり介護をする気持ちはなかったんじゃないかな…。
奥さまが亡くなった後も、「しょうがないっすね」しか言わないんですよ。

強烈なご家族だな…。


お母さんは、家族のそういったこと事情もわかっていたので、呼吸器や胃ろうをつけることも嫌がりましたし、保清をするのにも3ヶ月かかりました。
誰も面倒をみれないでしょ?って、ご本人が思っていたので。

在宅は難しかったんじゃないですか?

経済的な事情もあって、他に選択肢がなかったんですよね…。

このご家族のケースは、私も本当に悩みましたね。
保健所の方ともかなりお話はしましたし、弁護士さんにも相談をしました。
尊厳のところにもなってくるのですが、ご本人の意思とご家族の状況を考慮しながら、一つ一つケアを考えさせられましたね。

看護師として、どこまで関わって、どこからは関わらないのか、線引きも難しそうですね。

そうですね…。
「寄り添う」って、看護師は簡単に使う言葉ですが、寄り添うことはこんなにも大変なのか、と感じましたね。
自分の中にも、確固たる覚悟がないとブレるので…。

最期はどのような感じだったのですか?

胃ろうも呼吸器もつけなかったので、最終的にはご主人が決断をされて、窒息でお亡くなりになりましたね。

その後、三男のお子さんがとても心配だったので、グリーフケアにも行かせて頂きました。
お母さんがとても大好きだったので、大丈夫なのかな…と。
ただ、お会いしてみると、あまりにもケロッとしてて、それもまたショックでしたね。
これも、このご家族の価値観なんだなぁ…と。


最初は、外部の方がご自宅にあがることにも、頑なに拒絶されていたとのことですが、その距離の縮め方で、工夫された点はありましたか?

すごく一般的なことだと思うのですが、まずはその人が一番望むことをやる努力をする。
例えば、肺ガンの患者さんがカラオケに行きたいと言ったら、酸素も付けており、困難だと思っても、なんとか行きたいといった気持ちを叶えるための準備をする。
そうすると、自分の主張を受け入れてくれていると、感じるんですね。
例え無理な事であっても、叶える努力をします。

なるほど、当たり前だけど、すごく大切なことですね。

あと、これも当たり前のことではあるのですが、本人との意思疎通の取り方として、大事な話をする時は、顔を向けてしっかりと目を見て話をしていましたね。
本人が、本当に望んでいるものを主張される時は、目を見開いて目で訴えるんですね。
先程の話の方については、私は途中から管理者になってしまったので、ずっと現場を看れた訳ではないのですが、それでも大事なお話をする時は、現場に行って目を見て話をしていました。

利用者とのしっかり向き合えているか。その問いに答えるのが訪問看護だった。

中村さんは、ご自身がどうして訪問看護にハマったと思われますか?

最初のがんの専門病院で働いている時に、人の死がすごく身近な場所ではあるのですが、本当にそれに関われているのかな?と思いました。

袖を掴まれて、「話を聞いて」と言われたのに、ナースコールが鳴って、部屋を退出して、後でまたその方のベッドにいくと、その方の気持ちが変わっている。
「喋りたい」といった時と、時間の経過で違う想いになってしまう。

そこに、不消化な気分があったんですね。
私がやりたいのはこれかな?と。

忙しい病棟で働いていると、それは仕方のないことですよね…。

一方で、訪問看護は、利用者さんと濃密に関わることができますし、利用者さんの様子を五感で感じとることができます。
在宅には、看護師じゃなきゃできないことがたくさんありますし、それは病院ではできなかったな、ってことでもあるんですね。

看護が好きで、人が好きな人なら、在宅は絶対に好きだと思うし、
「看護師になって良かったな」
と感じる瞬間を得られると思います。
在宅に興味がある方は、とにかく来てみて、やってみて欲しいですね。
「訪問が怖い」って点は、いくらでもサポートしますし、みんな怖いところから始まっているので(笑)。

本日はありがとうございました。
取材を終えて

「湘南台」と「藤沢」の中間、藤沢市中部に事業所を構える、へいあん訪問看護藤沢。
デイサービスや支援ハウスと併設しているこちらの事業所では、看護チームと介護チームが一体となり、同じフロアで密な情報共有をしながら働いています。
インタビューの中で、管理者の中村さんが語る
「うちは不思議と、人柄の良い穏やかな方が集まるんですよね」
といった通り、困った時はお互い様の精神を持って、スタッフの出産や子育て、人員が足りない時のオンコール対応などを、スタッフで支え合いながら働いている様子がよく伝わりました。
スタッフ同士の仲の良さは、仕事だけに限らず、頻繁に開催されるプライベートでの飲み会には、退職をされたスタッフまでもが、わざわざ参加されるそう(笑)。
中村さんの温かいお人柄が浸透した、柔らかな雰囲気の中で働いていける、オススメの職場です!
取材・文章:一和多義隆
事業所情報
事業所名 | へいあん訪問看護藤沢 |
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運営会社 | 株式会社へいあん |
所在地 | 神奈川県藤沢市亀井野3286 |
最寄り駅 | 小田急江ノ島線「善行」駅 徒歩15分 |
在籍人数 | 7名(看護師:常勤1名・非常勤6名) |
従業員の平均年齢 | 40歳前後 |
本日は藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市と幅広いエリアで、在宅・施設サービスを展開されている株式会社へいあんで、藤沢エリアでの訪問看護サービスを提供されている、管理者の中村さんにインタビューをいたします。
よろしくお願いします。