生ききる に 寄り添う
恒例行事の忘年会! 多職種の横のつながりが強い東習志野エリア!
よろしくお願いします。
こちらの東習志野エリアでは、在宅での連携先が集まった勉強会や忘年会といったイベントが盛んだと伺いました。
色々な訪問看護ステーションも参加されているのですか?
どちらかというと訪問看護よりもほかの職種の方が多いですね。
地元で開業している医師や、ケアマネさん、デイサービスや入浴サービスのスタッフとか…。
とにかくいろんな職種の方が参加されていますね。
地域の様々な医療福祉サービスの面々ですね!
そうですね!
忘年会なんかはもう何年も続く恒例行事のようですし、地元のつながりが強いのだと思います。
私も初めて参加したのですが、和気あいあいとした雰囲気でしたよ(笑)。
サービスとしては競合になるところも顔を合わせそうですが、そこは気にはならない感じですか??
そもそも、このあたりは訪問看護自体が少ない地域なんですね。
高齢化率は高いので、ニーズは高いはずなんですけどステーションがあまりないので、お隣の市から訪問に来ているというケースもありますよ。
私がこの地域に訪問看護ステーションを作ろうと思った経緯のひとつですね。
そのようなエリア事情が…!
ところで、こちらのステーションは駅からも近いですし、通勤に便利そうですね。(※2023年10月現在、事務所移転済み)
建物からは古い印象も受けたのですが、内部は広くてきれいですね!
あはは(笑)。
あと、個人的には下のお肉屋さんがおいしそうだな、と。
コロッケおいしいですよ~(笑)。
お弁当屋さんもおいしいですし。
通勤に便利で、お昼にも困らない(笑)!
求められるものに答えるステーション、そのために必要な教育体制とは?
まずは、こちらのステーションの特徴について教えてください。
立ち上げは2019年の3月ということで、設立からまだ1年経っていないのですね(※インタビュー当時)。
はい。
ステーションとしてはまだまだこれからですね。
ただ、「求められたものに応えられる」、どのようなご依頼も断らないステーションを目指していきたいと思っています。
訪問看護ステーションとしては、特に必要とされることですよね。
そう思います。
利用者さんによっては、
「本当はこうしたい、家にいたい」
という想いがあるのに実現できないケースが多くあります。
私たちが入ることで、ご利用者さんだけではなくご家族も含めて、そういった方々の助けになっていきたいと思っています。
利用者さんだけでなく、ご家族のサポートにも注力していきたい、と。
はい。
なので、最初のお話の時を大切にしていて、何を望まれているのか、私たちにどういうことができるのか、時間をかけてお話させてもらいます。
必要とされてるものをきちんと提供できるように、丁寧に看護ができるように、したいですね。
なるほど。
様々なケースのご利用者を受け入れていくためには、スタッフにも相応の対応力が求められますね?
教育やサポート体制はどうされていく予定ですか?
おっしゃる通りです。
まずはOJTで本人が安心するまでしっかり同行訪問をしていきます。
それに加えて、ELNECをはじめとした外部研修も並行して活用しています。
やはり、「分からない」ことが本人にとって一番不安だと思うので、
経験の中で学ぶもの
知識として持っていなければならないもの
持っていれば安心なもの
を増やせるようにサポートしています。
同行訪問では現場での経験と知識を培いつつ、外部研修でのインプットも積極的に利用していく体制ですね!
研修というお話ですと、月に1回外部の専門家をステーションに招いて、勉強会を開催しているとか?
はい。
私自身も勉強会で毎回新しいことを知るので、そういう機会は積極的に作っていきたいと思っています!
これまでに、どのような勉強会を開催されてきたのでしょうか?
WOCの認定看護師さんに来てもらったり、がん専門看護師さんに抗がん剤治療の話をしてもらって在宅でのアセスメントを学んだりしました。
今月は慢性呼吸器の認定看護師さんに来てもらいますよ。
本当に様々な領域の専門家の方々ですね!
そういった勉強会の企画・テーマは誰が考えているのですか?
今は立ち上げ時期なので、次々とやりたいことが決まっていきますが、このあとはみんなで企画していけたらいいかなと思っています。
自分たちに足りないところとか、この先生の話を聞いてみたいとか。
勉強したいことに合わせて企画できたらいいですよね。
ステーション側が一方的に押し付ける勉強会ではなく、現場側の意向も汲み取った勉強会を一緒に創っていくというイメージですね!
介護保険スタート前、20代で飛び込んだ訪問看護の世界
ここからは山口さんのご経歴をお伺いさせてください!
まず、ご出身はどちらですか?
出身は千葉県の真ん中の茂原というところです。
看護学校は、今はないのですが千葉の医師会の学校を卒業しました。
定時制だったので、働きながら五年かけてでしたね…(苦笑)。
働きながら資格をとられたのですね!
その後の就職先はどのようなところだったのですか?
病院に就職して、内科病棟中心に勤めました。
消化器や循環器、外来にも行きましたね。
看護学生時代から准看護師としてその病院で働いて、看護師としても働いたので、計7年ぐらいでしょうか。
そのあと、訪問看護に転職しました。
えっ、もうそこから訪問看護へ!?
学生時代に在宅のカリキュラムもなかった当時としては、かなり異例なキャリアだと思うのですが…
なぜ訪問看護へ???
学生時代に、一日だけ保健師についてご自宅の訪問をする実習があったんです。
そのときに伺ったのが、リウマチで関節の変形もかなりあって、痛みも強くて、という方でして…。
その状態でお一人暮らしをされていたのが衝撃的でした。「この状態でもお家で生活していらっしゃるんだな」と。
「なにか助けがあると、この方はもっと過ごしやすくなるのでは」とも思ったんですよね。
そこで訪問看護に興味を持たれたわけですね。
はい。
就職した病院にも訪問看護部門があったのですが、そこでは「まだ早い!」と異動をつっぱねられてしまって…。
それがすごく悔しくて、退職して訪問看護ステーションに入ったんです(笑)。
今でこそだいぶ変わってきましたけど、昔の訪問看護は、やはり大ベテランが最後に行くキャリア、というふうに言われていましたものね!
本当、そういう時代でしたよね(笑)。
念願かなっての訪問看護でしたが、当時はまだ介護保険も開始していない、かなりバタバタとした時期でしたね。
なるほど。
今ほど制度も整っていないし、認知もされていないし、情報も少ないし…という環境ですよね。
そのなかでも一番大変だったことというと、なにかありますか?
う~ん、
現場の体制も引き継ぎも不十分な状態で、それでも利用者さんはいる、という状況だったこと、でしょうか…(汗)。
とにかく必死でしたね。
利用者さんはどのような方がいらっしゃったのですか?
通院が大変、というようなご高齢の方がメインでしたね。
当時は老衰というか……、そういった方が多かったなと思います。
このステーションをご自身で立ち上げた経緯というのは、なにかあったのでしょうか?
手が届かないところを助けたい、という想いですね。
東習志野には訪問看護ステーションが少ない、という地域性の部分と、あとは、介護保険だとか医療保険だとか制度の中ではどうにもできないということも多いんです。
私はこれまで大きな医療法人が運営する訪問看護ステーションで管理者として長年働いてきていて、そこには何も不満は無かったんですね。
ただ、そういった個々のご家族に寄り添っていくために、また小さな組織で1からやってみたいな、という想いが募ったのだと思います。
やはり、ご本人と、ご家族に寄り添った訪問看護を拡げていきたいという想いが根本にあったのですね。
はい。それを自分でできたらいいな、というところですね。
いつか自分は治るんだと強く信じるALSのご利用者との10年以上の関わり
山口さんが訪問看護で出会った、印象に残っている利用者さんのお話を伺えればと思います。
はい。
私がステーションをつくりたいなと思ったきっかけになった方で、今でも訪問しているALSの方ですね。
実は、私が最初に訪問看護師として訪れた方なんです。
となると、10年はゆうに超える年数を関わってこられているご利用者??
そうです。
その頃は、まだ40代で、呼吸器もつけていらっしゃらなくて、ご高齢のお母さんと妹さんと三人暮らしをされている方でした。
ご自分の想いを伝えたいのですが、ご病気もあってうまくできない…。
そんなお兄さんを、妹さんがほぼお一人で介護している状況でした。
まだご病気も初期の段階からお伺いしていた感じですかね??
はい。
でも、やはりだんだんとご本人の状態は悪くなって、妹さんも介護のためにお仕事を辞められたんですよね。
「私はいいんです。この人が父親代わりで学校にも行かせてもらったので…」とおっしゃっていて。
なるほど……(汗)。
妹さんは「私が」と、すべてを請け負われるんですね。
たしかに、ALSの方がそこまで状態が悪いと、デイサービスでも受け入れてくれるところはなくなっていきますし、レスパイト先もない。
ヘルパーさんは吸引できる方がいない、訪問看護師も毎日はうかがえない…。
病状は悪化していくのに反して、活用できる資源はどんどんと減っていった…。
おっしゃる通りです。
ALSに限らず、難病の方は(本人の意向が)細やかな方が多いんですね。
関わり方も難しくて、まわりの支援もなかなか定着しづらかった。
妹さんの役割ばかりが増えていってしまう状況でした。
せっかくの月1回のデイサービスも、妹さんが一緒に来ていらっしゃることもありました。
妹さんは休まる時間がない訳ですね…。
そうなんですよ。
そのあと、私の異動などもあって、その方とは縁が切れてしまったのですが、ずっとこのご家族のことが頭の片隅にあったんです。
それで、こういう方に私たちができることってないのかなと考えて、今回ステーションを立ち上げたのですが、立ち上げ後すぐにその方からご依頼があったんですよ。
えぇ!?
先方は山口さんがいることを知らずに依頼を?
はい。私がいると知らずにたまたま…(苦笑)。
なんとも、運命的という何というか…。
なんだか大泉洋さん主演で実写映画化した『こんな時間にバナナかよ』が思い浮かびますね。
まさにあんな感じですね!!!
例えば吸引をするとなっても、その方の中で手順が決まっていて、その通りじゃないとスタッフは怒られて帰ってくる…というような(苦笑)。
難病の方は、若くして突然体の自由を奪われて、という方もいらっしゃいますからね。
自分がその立場だったらと考えると…。
スタッフにはその状況を汲み取りながら力になっていこうと伝えています。
お話を伺っていると、利用者さんご本人からはとても強い意思を感じられますね。
デイサービスに月1でも行こうとか、新しい訪問看護ステーションを入れようとか。
もちろん、必要だからという面はあると思いますが、「生ききろう」としている印象を強く受けました。
そうなんです。
生ききろうと思ってるいし、「自分はいつか何事もなかったように歩けるようになる」という希望を持っているんですね。
医学が進歩して治る日が来ると、だから自分の体は保っておきたい、というお気持ちですね。
だからヘルパーさんの学校へ行って、パソコンを使って講習をされているんです。
ただ介護を受けるだけではなく、自分の人生を生きようとしているんですね。
私の訪問看護師としてのキャリアの中でも本当に印象的な方でした。
病院の最期と在宅での最期、残されたご家族の想い
私の友人に往診医がいるのですが、その先生曰く、「お別れのときに、病院(で亡くなる)とご家族は泣くけど、在宅だとそうでもないんだよね」と。
病院とご自宅では、ご本人もご家族も過ごし方が違うからかな、と思いました。
違うと思いますね。
病院では、その場で医師が確認して、ご家族にお伝えして、ご家族と私たちがお話する間もなくお家に帰られて…ということは多いですが、ご自宅ではその方の最期をすべてご家族がみていらっしゃいますからね。
ご家族の方も、「お家で最期までみられた」という達成感のようなものを感じられるのでしょうね。
そうですね。
もちろん、後悔がないわけではないと思いますが…。
本人の望むこと、家族が望むことをやりきったという想いは強いのだと思います。
亡くなった後に一緒にエンゼルケアをできることも、本人とのお別れをするために非常に重要なことですね。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
取材を終えて
千葉県習志野市の東部、京成本線「実籾(みもみ)」駅から歩いてほど近い場所に事業所を構えるホープ訪問看護ステーション。
建物の外観から受けるイメージに反して事業所の中は真新しく・広々としており、2019年OPENのまだ新しいステーションということもありデスクなどもピッカピカ!
ステーション自体はまだ1年生ですが、管理者をされる山口さんは訪問看護師歴20年を超える大ベテランです。
これまで大きな医療法人の後ろ盾のもと訪問看護をされてきて、よりコンパクトな、手の届くような規模感の組織で訪問看護をしてみたいと考えて一念発起されたそう。
もちろん新設ステーションならではの大変さもあるかとは思いますが、これまでの山口さんの経験を土台として活かしつつ、1から理想の訪問看護ステーションを一緒に創り上げていくのも、心躍る働き方ができそうだと思いませんか?
取材・文章:一和多義隆
事業所情報
事業所名 | ホープ訪問看護ステーション |
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運営会社 | 合同会社 レイオブホープ |
所在地 | 千葉県習志野市東習志野2-18-2 ベルメゾン101号室(2023年10月移転済み) |
最寄り駅 | 京成本線「実籾」駅(徒歩15分弱) |
在籍人数 | 5名(看護師:常勤5名、非常勤2名) |
従業員の平均年齢 | 30~50代のメンバーが在籍 |
ステーション詳細 | » より詳細なステーション情報を見る |
本日は千葉県習志野市の実籾(みもみ)駅にあります、『ホープ訪問看護ステーション』の所長の山口和枝さんにお話を伺います。
よろしくお願いします!