軽いノリで走り出した先に
インタビュー先の事業所とご担当者様
川口 みさ子 さん 看護師 管理者
YMG訪問看護ステーション菊名
横浜市港北区 周辺
「横浜線」と「東急東横線」との乗換駅に暮らす人びと
よろしくお願いします。
あつこさん(YMG訪問看護ステーション新横浜・管理者:伊藤京子さん)からバトンタッチということで緊張をしておりますが…(笑)。
普段のいつも通りの感じで大丈夫ですので…!笑
理事長のことや、法人全体のことは、新横浜での取材時に色々とお伺いできたので、今回は菊名ステーションのことについて掘り下げてお伺いをさせてください!
ちなみに『新横浜』と『菊名』って、たったのひと駅隣といった位置関係ですが、エリア的な特徴として、何か違いは感じますか??
菊名の方が、新横浜に比べると貧富の差は激しいのかな? と感じる時はあります。
「代々の地主さん」という方もいれば、「生活保護でお家の中も…」といった人まで、差が激しいな、と思います。
見たままのイメージですが、
新幹線も停まり、駅前にオフィスビルが建ち並ぶ新横浜の方が、より富裕層寄りって感じはしますね。
そんな感じですね。
菊名は一言で表すと「通過点」なんですよね。
下車する駅というよりも、『横浜線』と『東急東横線』の乗換駅なので、「目立った特徴がある」というよりも、「乗り換えでよく使われる駅」と認識されている方が多いんじゃないかなぁ…。
駅の近くを見渡す限りですと、生活をするには新横浜よりも菊名の方が暮らしやすそうな印象は受けますけどね!
こちらの在宅事情については、これから詳しくお伺いいたしますね!
医療依存度の高いご利用者に特化した、ママさん看護師ステーション
『YMG訪問看護ステーション菊名』の特徴について教えてください!
特に『YMG訪問看護ステーション新横浜』との違いなどあれば是非!!
はい。
まずうちは看護師しか在籍していないことが大きな特徴です。
理事長の意向で、「菊名(のステーション)は医療依存度の高いご利用者に特化」していくことを目指しているので、新横浜のステーションとはまた違った役割を担っています。
新横浜では、リハ、ケアマネ、ヘルパーまで在籍していましたね。
そうですね。
多職種で連携をとりながらご利用者の生活を支えていくことも訪問看護の大切な役割の1つなのですが、
医療依存度の高いご利用者に集中していく環境も、また違った在宅の一面が学べると思いますよ。
ステーションの中の雰囲気も大分変わりそうですね!
川口さんは以前、新横浜のステーションでも働かれていた、とお伺いをしましたが、例えばスタッフが希望をした場合、新横浜から菊名への異動、菊名からの新横浜への異動、といった相談はできるものなのでしょうか??
可能ですよ。
本人から「あっち(他方)のステーションで○○を学びたい」といった希望があれば、法人内で協議・検討をしたうえで、異動可能な制度は用意をしています。
それは良いですね!
わざわざ転職をしなくても、同じ法人内で違うスタイルの訪問看護を学べる形ですね。
ちなみに、こちらのステーションでもリハビリが必要になる場面はあると思うのですが、そういった時はどのようにされているのですか?
あります、あります!
新横浜の理学療法士さんが週1回はこちらのステーションに来てくれているんですよね。
そういった意味では、完全に「看護師のみ」といった環境でもないですね。
菊名ステーションでは、絶賛子育て中の「ママさん看護師」が多い感じですね?
そうなんです!「ママさんチーム」といった感じ。
「子どもの具合が悪いときは、お互い様だよね」といった雰囲気はすごくあります。
また、まだお子さんがいらっしゃらないスタッフもいるのですが、そういった方も、先々の妊娠・出産・子育てについて、実際に子育てと仕事との両立をしているスタッフを目の前で見れている安心感もあるのかなと思います。
産休・育休のこと、仕事と子育てとの両立のことを心配される看護師さんは本当に多いので、それはすごく心強いと思いますよ!
ちなみに、こちらの法人では託児所もありますが、実際に使われているスタッフもいるのですか??
使っていたスタッフはいるのですが、一時的な利用となることが多いですね。
それは何故??
菊名のステーションからですと、ちょっと距離があるんですよね(汗)。
自宅近くで保育園が決まると、そちらに移るってパターンが多いかな…。
あとは、法人の託児所が0~2歳がメインと低年齢化しているので、子どもが大きくなるまでに外の保育園を決めていきますね。
この辺って、それこそ若い世帯にも人気の『武蔵小杉』も近いですし、保育園は激戦区なのではないですか??
そうですね。
けど、みんな頑張ってなんとかしていますね。うふふふ…(笑)。
このエリアの保活(保育園活動)のことも色々と心強いアドバイスを頂けそうですね(笑)。
その他、スタッフの雰囲気としては何かありますか?
明るくてワチャワチャしている感じですかね~(笑)。
新横浜のステーションが「お嬢様」だとしたら、うちは「ヤンチャ娘」って感じかな?
看護師さんが集まった環境で、仕事のことも、仕事以外の子育てのことも、共通の話題が多いのでしょうね!
皆さんでご飯行かれたりはするのですか??
不定期ではあるのですが、歓送迎会の時など、ここ(事務所)で鍋をしたり、たこ焼きパーティーをしたりします!
夜間待機の方がいると、事務所でやるのが一番助かるんですよね(笑)。
そうですそうです(笑)。
あと、お子さんを連れてこれる方はお子さんも呼べるので、色々と楽なんですよね。
「よし、うえ(本部のスタッフ)が帰った!」みたいな感じで、いそいそと準備してます。
ちなみに、このインタビュー、当然本部の方もチェックすると思いますが、(記事にして)いいんですか?(笑)
いいんじゃないですか?
あははは(笑)。
まさかの病棟閉鎖!強制解雇!軽いノリで始めたご近所の訪問看護!
川口さんのご経歴について教えて頂けますか?
私、出身も横浜なんです。
今はもう無くなってしまったのですが、昔は横浜市立大学の市民総合医療センターのすぐ裏に看護学校があって、そちらの卒業生です。
看護学校卒業後は、市内の総合病院に入職をして、外科と泌尿器の混合病棟に配属となりました。
がんの患者さんが多かったのですが、終末期の方、オペ後の方、ICUに入るような方まで引き受けていたので、色々な経験をさせてもらえたと思っています。
それから、短い期間ではあったのですが地方へ転居をした後、また横浜に戻ってきて、都内のクリニックで働きました。
その時は、病院ではなくクリニックだったのですね。
実は、「もう看護師は辞めようかな」と思っていた時期だったんですよね。
ただ、他の仕事も色々と検討はしたものの、結局、一番条件が合ったのがそのクリニックだった。
なるほど…。
クリニックではどのような仕事を??
有床診療所だったので、一応は「病棟主任」という役職でしたね。
臨床からは離れずに働き続けたキャリアになります。
訪問看護はどのような経緯ではじめられたのですか??
2000年の介護保険が始まる年に、働いていたクリニックの病棟が閉鎖することになったんですよね…。
ちょうど、『社会的入院』が問題になった時で、院長が閉鎖を決断しました。
なので、強制解雇だったんです。
クリニックの外来に残ることは検討されなかったのですか??
そこは、先輩のおば様方がいたので、「あなたはまだ若いでしょ?」と言われまして……。
(苦笑)。
その時に、たまたま一緒の病棟の子の友人が菊名訪問看護ステーション(現:YMG訪問看護ステーション菊名)で働いていて、
「あなた、菊名から家近いんだから、もし在宅でも良かったら紹介するよ」
と言ってくれたんですね。
「在宅かぁ……。まぁ、家からも近いし、託児所もあるし、すぐに仕事も就けるなら、それでもいっか。」
といった理由で入職を決めました。
じゃあ、その頃は在宅に興味・関心があったという訳ではなく??
全く無かったですね。
「職が無くなる、やばい!」
「お、託児所があって助かるぞ!」
「近くて便利!」
といったくらいの本当に軽いノリでした(笑)。
なるほど(笑)。
訪問看護を希望される方って、
「ご家族が訪問看護を利用していた」だったり
「学生時代から在宅に興味があって」だったり
意識高めな方が多いじゃないですか?
それはそれで素晴らしいことなのですが、川口さんくらいのノリで始めちゃっても、個人的には良いと思うんですよね。
私もそう思います(笑)。
理由は何であれ、実際に私は今でも訪問看護を続けてこれていますので…!
ちなみに、軽いノリではじめた訪問看護で、苦労した点や面食らった点はありましたか?
最初は、
「この人、こんな状態でお家にいていいの?」とか
「こんなリスクのある環境でいいの?」とか
挙げていけばキリがないのですが、病棟とのギャップの連続にすごく戸惑いました。
ただ、訪問を重ねていく間に、
「どこは注意しなければいけない」
「ここまでは大丈夫」
といった線引きが多少は自分の中で落とせるようになっていって、
それからは「人間って強いんだな」と考えられるようになりました。
その自分の中での落とし込みができるまで、どれくらいの時間がかかりました?
どうでしょうね…。
自分は1ヶ月弱で単独訪問が始まっていたのですが、
色々なことが分かりはじめたのも、立ち振舞ができるようになったのも半年ほど経ってからだったと思います。
ただ、1年経った後も「はじめまして」なケースは当然ある訳で、その辺のことはあまり覚えていないです。
とにかく、がむしゃらに訪問をしていた感じでした。
途中、「訪問看護を辞めよかな」って思ったことはなかったんですか??
衝動的に「もう辞めてやる!」みたいな時はちらほらとありましたよ(笑)。
ただ、本気で辞めようと思ったことは一度もなかったですね。
やはりメンバーに恵まれたのだと思います。
大変なことがあってもざっくばらんに話し合うことができましたし、大変な時期もそれで乗り越えてこれたので。
周りの人や環境が良ければ、訪問看護に興味がない中からスタートをしても管理者にまで上り詰めることができるぞ……と!
いやいやいや、管理者になったのは年功序列です!!!
あれよあれよ、と気づいたらさせられていました(笑)。
(笑)。
搬送先の病院からかかってきた、ご家族からの緊急コール
これまでで印象深かったご利用者さんのエピソードを教えて下さい。
忘れられないALSの利用者さんですかね…。
50代の女性の方で、主介護者が同居のお嬢さんでした。
まだお若いですね。
お嬢さんと2人暮らしだったのですか?
いえ、ご主人も一緒に暮らしていたので3人暮らしですね。
お嬢さんは2人いたのですが、上のお嬢さんはすでに結婚されて家を出られていて、
ご主人は奥様の介護に協力的ではなかったんですね。
当時、30歳前後だった下のお嬢さんが、介護のために仕事も退職されて、一生懸命お母さんの面倒をみていました。
その利用者さんは、ご自身の「やりたい!」をすごく持たれている方でした。
主治医の先生からも
「訪問看護師さんが気の毒だよ」
と言って頂くくらい様々な要求があったので、
お嬢さんも私たちも、
「どうしたら、希望に沿えるのか?」
と、悩むことも学ぶことも多いケースでした。
例えば、どのようなご希望を?
例えば、最期まで(お口で)食べることを諦めなかったんですね。
ゼリーを使って食べるとかいたったことではなく、
例えば「コロッケを食べたい」となると、お嬢さんがひき肉を買ってきて、すごくミンチにして、山芋をつかってコロッケのようにして、あとはソースでごまかす!といった感じで…。
可能な限り、お母さんの希望に沿って、普通の食事に近づけるよう、毎回0から試行錯誤している姿はとても印象的でした。
他にもリスクの多い方でしたので、連携先の主治医やへルパーさんからも、色々な意見が挙がりましたし、サービス担当者会議でもご家族の意向との折り合いが難しかったこともよく覚えています。
ご本人の希望から、
「人工呼吸器は乗せない」
といったことを決めていたのですが、最期の最期、呼吸がどうしても苦しくなった時に、入院先で呼吸器を乗せてしまったんですよね…。
その時、病院にいるお嬢さんからうちのステーション宛に電話がかかってきたんです。
病院にいるご家族からステーションに電話が?
そうです。
「ママが苦しがっている。助けて欲しい」と。
ただ、電話でお話をしていた時にちょうど先生がきて切電になり、その後、間もなくしてお亡くなりになりました。
ご本人の希望から、ギリギリまでご自宅で過ごされた方だったので、介護するお嬢さんにとって、面倒をみることも、お母さんの苦しむ姿を見ることも、辛かったのだと思います。
家にいた時はしょっちゅう喧嘩もしていたのですが、
やはりお母さんのことが大好きだったんですね。
その方の訪問は4年くらいだったと思うのですが、お亡くなりになった後の私自身の喪失感もすごかったです。燃え尽きてしまったというか…。
その後、ALSの方を看れるようになるまでしばらく時間がかかりましたね。
希望と妥協の駆け引きが形作る「その人らしさ」という指標
在宅でよく「その人らしさ」って言葉が使われるじゃないですか?
もう訪問をはじめて19年になるのですが、
「その人ってなんだろう?」
「どこにあるんだろう?」
って考えさせられることがすごく多いなと痛感しています。
利用者さんご自身ですら理解できていない可能性はありますね。
先程のエピソードの方は、「その人らしさが全開」といった感じでしたが…。
あの方はそうでしたね。
ただ、その場合は、受け止められること、受け止めてもできないこと、といった悩みも出ていましたね。
一緒に悩みながら、「こっちは諦めるから、こっちは頑張ろう」「これは絶対に譲れないね」といった「駆け引き」が出てきます。
その「駆け引き」がその人らしさを形作っていたのかもしれないですね。
訪問看護をはじめて日が浅い人や未経験の人に、その微妙な「駆け引き」の機微を伝えることは難しいですね…。
本当にそうですね。
それが今の私自身の課題でもあって、ちゃんと言葉にしていかないといけないし、それを人に伝えられるようにならないといけないと思っています。
今年から訪問看護の認定資格を取り始めたのですが、そこでまた、自分なりの答えなりヒントなりを得られたら良いなと思っています。
本日はありがとうございました。
取材を終えて
「新横浜」駅のすぐ隣、東急東横線と横浜線が交差する「菊名」駅のすぐ近くに、ピカピカの綺麗な事務所を構える『YMG訪問看護ステーション菊名』。
「看護師」だけで構成されたこちらのステーションでは、所長の川口さんのようなベテラン看護師から、病棟経験1年で入職をされた新人看護師まで、多様なキャリアの方が働かれています。
様々な臨床経験、様々な看護教育を経たスタッフをまとあげることは、どこの訪問看護ステーションの管理者も抱える大きな悩みの種ではあるのですが、こちらの川口さんはとにかくポジティブ! スタッフの経験年数や得意・不得意に応じたOJT、場合によってはグループ病院の力も借りながら、しっかりと訪問看護師としての成長に伴走をしてもらえます。
訪問看護をはじめるにあたって、強烈な原体験や崇高な信念はなくても大丈夫です。 まずは「軽いノリ」からでも、走り出してみてはいかがでしょう?
取材・文章:一和多義隆
事業所情報
事業所名 | YMG訪問看護ステーション菊名 |
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運営会社 | 医療法人五星会 |
所在地 | 神奈川県横浜市港北区菊名4-3-11 |
最寄り駅 | 東急東横線・横浜線「菊名」駅 徒歩5分 |
在籍人数 | 6名(看護師:常勤5名・非常勤1名) |
従業員の平均年齢 | 30代後半 |
本日は横浜メディカルグループ、YMG在宅支援総合センターの『YMG訪問看護ステーション菊名』管理者の川口さんにインタビューをいたします。
よろしくお願い致します。