「病院の外にいる“黄色信号”の人たちを支えたい」という思い – 地域で働く看護師のリレーブログ
[記事公開日]2020/09/16 [最終更新日]
訪問看護や在宅医療にかかわる方々から、実際の現場の様子や関わってみて感じた率直な想いを寄せていただきました。バトン形式で不定期でお送りします。
今回寄稿いただいたのは、この方!
ふじはる(藤澤春菜)さん
1996年生まれ長野県出身。
ファーストキャリアは病院の看護師。
病院で働いていたときの違和感から、地域をケアする街の保健師に。
「人と人のつながりを処方して健康/街づくり=社会的処方」をテーマに活動中。
現在は地域包括支援センターに勤務しながら、銭湯でコミュニティナースをしています。「小杉湯×医療」主宰。
私は、都内の地域包括支援センターで働く保健師です。新卒で三次救急病院に入職し、循環器内科と心臓血管外科病棟で1年ほど看護師業務に従事し、現在の職場に転職しました。
病棟経験で芽生えた思い
新卒で総合病院に入職した理由は、実習だけでは十分に経験できなかった看護技術や病院の中の事柄を吸収したいと思ったためです。病気だけではなく生活もみたかったため、生活習慣が影響している疾患が多い病棟を志望しました。病棟パンフレットの「退院後の生活を見据えた指導に力を入れている看護」との言葉と、コンビニ食の方が多い地域特性を踏まえ食品の塩分表示してあるギャラリーを見て“きっと、ここでなら生活も含めた看護ができる”そう思い、門を叩きました。それから、毎日必死に働いて、少しずつ出来ることは増えていきました。
一方で、今まで見えなかったものも見えるようになり、徐々に自分の中で違和感が大きくなっていったのです。心疾患は塩分、水分などの生活習慣がキーになります。つまり、病院に来るのは、重症化するまで予防できなかった人、病院で治療をしてもまた悪化してしまった人が多いのです。「また帰ってきちゃった」と入退院を繰り返す患者さんを前に、医療は病院だけでは完結しないことを痛感し、また違和感を覚えるようになりました。
そこで芽生えたのは「病院の外にいる“黄色信号”の人たちを支えたい」という思いでした。健康に関心がなく不摂生をしていたり、症状コントロールができていなかったりする人たちが、赤信号になってしまう前に、生活の中で健康を考えるきっかけをもっと身近に持てるようにしたいと思うようになりました。
ただ、看護師としてまだ1年目だったこともあり、転職の決断をするまでに、色々な方に相談しました。そのときに「自分の感じた違和感をもっと言語化した方が良い」とアドバイスを受け、違和感に“Why?”を問い続けました。「人と人のつながりを通して健康」というビジョンのためなら、肩書きにとらわれずにチャレンジしたいと思い、訪問看護ステーションから一般企業まで幅広く転職活動をしましたが、私がやりたいことは、全て保健師という職業に詰まっていました。少し時間はかかりましたが、数ある道を知った上で、今の場所を選んだことが、自分の選択に納得感を持たせてくれたと実感しています。
その人自身を肯定的に見る
地域包括支援センターは、保健師・ケアマネージャー・社会福祉士の3職種で、地域高齢者が元気な時から病気になったあとも「その人らしく」暮らせるように支援しています。高齢者とその家族が抱える不安は漠然としていることが多く、はじめから主訴を伝えることができる方はごくわずかです。そのため、私たちは対話をし、その不安の正体を紐解いていきます。対話の中で大事にしているのは「◯◯病のAさん」ではなく「Aさん」に接すること。時に、医療者は患者を病名でラベリングしてしまうことがあります。でも、誰かの人生は病名でラベリングされるほど軽くありませんし、病気はその人の一部です。その人が、なにを大事にし、なにを習慣にしてきたのか。今日までの生きた過程を丁寧に覗き、その人を肯定的に見るようにしています。
来所相談や自宅訪問の結果、医療や介護・そのほか公的制度が必要な方もいますし、インフォーマルな地域資源が適している方もいます。中には、話をしてみたら必要なものは何もなく「このままでいいね」と安心を持ち帰られる方もいます。
地域の点と点をつなぐ
日々の業務では、適切な社会資源につなぎ、十人十色のコーディネイトができるように、地域の多くの方と連携して情報収集をしています。英国のFrome(https://www.compassionate-communitiesuk.co.uk/projects)でいう、ヘルスコネクターに近しい存在だと思います。行政や医療機関、介護サービス事業者はもちろん、民生委員、町会、時には不動産やコンビニとも協働しています。地域のことを一番知っているのは、私たち支援者ではなく、その街で暮らしている住民です。住民とゆるやかなつながりを持つことで、生活の変化を早期発見し、支援につなげることができます。地域の点と点をつなぎ、継続して支援できるよう、地域セーフティネットワークを作ること。実は、これが地域包括支援センターにおける、あらゆる業務の前提なのです。緊急対応の際には、チームの中で唯一の医療職というプレッシャーもありますが、それ以上に「患者である前に住民であるその人」に関わることができるのは、いまの職場ならではの醍醐味です。
また、個人的な活動として、銭湯で医療職と街の人の対話の場をつくっています。悩みを抱えている方にとって、行政はハードルが高く相談しづらい。私たちが出会った時には赤信号ということも多いです。そこで、もともと生活の場に馴染んでいる銭湯だったら、黄色信号の方にも出会えるのではないかと、取り組み始めました。面白がって関わってくれる方も増え、これからどんなことができるのかと、可能性を感じています。
「地域が好き」この思いは、どれだけ疑っても変わらない自分の核でした。“人と人のつながりを通し、個をエンパワメントしてその人が本来持っている力を取り戻すプロセス”は究極のケアだと思います。